時事評論@和の空間
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昭和天皇と靖国参拝

 このところ完全に更新をさぼっているにもかかわらず、ときどき訪問してくださっている方々には感謝致します。m(_ _)m

 

 あいかわらずワンテンポ遅れている時事評論だが、例の「富田メモ」について書いておこう。自分の中でまだ十分に結論はでていないのだが、いつまで原稿を温めていても果てがないし、これから靖国問題もだんだんヒートアップしてきそうだから、この時期に発言しておく価値は大いにあると思う。

 
 
 

戦争神社という誤訳

 

 最初に書いておきたいのだが、靖国神社を War Shrine と呼ぶ誤訳 は、早いところ国際的に正しておく必要があると思う。これはニューヨークタイムズの有名な売国日本人記者が言い出した名称である。

 靖国とは「国を安らかに治める。鎮国」の意味であり(貝塚茂樹ほか編『漢和中辞典』角川書店)、靖国神社の名は『春秋左氏伝』第六巻僖公二十三年秋条の「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇が命名したものである。《靖国神社(ウィキペディア)》したがって、あえて靖国を訳すに、to make the country secure (and peaceful) あたりが適当ではないかと思うし、そういう意味では靖国神社(Yasukuni Shrine)は Security Shrine と訳すのが妥当なのである。靖国神社は、戊辰戦争において朝廷方で戦死した人々を祀ったのがはじまり(当時の名称は東京招魂社)だが、それは内憂に関して国を安泰にするために命を捧げた人々だった。そして、日清日露戦争や大東亜戦争など外患についても国家防衛に命を捧げて国を安泰に尽くした英霊も祀られていく。

 Securityは「安全保障」とも訳される。したがって靖国神社は安全保障神社と訳しても一向にかまわないのである。マッカーサーは「日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。」と言ったそうだが(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)、まさに靖国神社は“わが国の安全保障のために命を捧げた人々への慰霊と顕彰”が目的であったと言える。そして、今「靖国反対!」と叫んでいる人々は、昔「安保反対!」と叫んでいた一派(またはその末裔)と重なると思われる。靖国反対運動は、安保反対運動から姿を変えた“お花畑平和主義運動”なのである。

 靖国擁護に回っている人々は、場合によっては武力による国家防衛も認める現実的平和主義者である。手段としては(他国との)戦争だったとしても、目的としては(自国の)平和・安泰であった。ことさら戦争神社などという訳し方をしてまるで日本人が戦争を好き好んでやって来たように思わせるのは、ものの表面だけをみて一面的な主張をする態度だといえよう。

 

 Security(安全保障)とは何か。それは当事国間で意見や主張が分かれる非常に悩ましい問題である。自国にとっては安全保障の実現であっても、他国にとっては侵略や虐殺になりうるからである。靖国問題も、安全保障をめぐる見解の相違に発するものなのである。

 
 
 

「富田メモ」問題の参考ブログ

 

 いろいろとブログを巡って参考になる記事を集めていたので、まずはここにまとめておきたい。

 

日経の記事を検証しないで中国・韓国や全国に情報を流す朝日新聞・共同通信その他と、ネットで検証している人たちについて(愛・蔵太の少し調べて書く日記 2006年07月22日)》
↑マスコミ報道の発端からの経過が詳しく追われている。

 

靖国合祀不快感に波紋(「まぁ皆さん聞いてください」 2006年07月20日)》
↑毎日新聞(2006年7月20日14時12分更新)の引用。

同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。
 
 メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。

 

昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ(柏木蛍の浮世吟集 2006年07月20日)》

88年4月28日付の手帳に「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
↑読売新聞の引用。

 

「靖国」議論が加速?(coool! 2006年07月20日)》
↑朝日新聞の記事に反論。

 
だからどうした(桜日和 2006年07月20日)》
↑この記事における「重大な疑問」を提示。

 

[資料]松平永芳宮司の語るA級戦犯合祀と中曽根参拝

 

日経も機を見て事大(reborn in 060106 2006年07月20日)》

記事で書かれている「昭和天皇は」「と語った」という語句は日本経済新聞が『付け加えた』もので、実際の発見されたメモに「「昭和天皇は」「と語った」という語句は『存在していない』という点ね。

 

■天皇陛下のお言葉(偽(◆ ケシクズ ◆ 2006年07月21日)》
↑もっと前を読むと、昭和天皇のご発言と報道されたのは、じつは「藤尾(文相)の発言」と考えられる。

 

A級戦犯合祀メモと小沢一郎(きょうのこりあ 2006年07月21日)》
↑小沢氏は、以前(第104回国会 地方行政委員会 第5号 昭和六十一年四月二日)とは正反対のことを言っている。また、メモに対する疑問を列挙。

 

日経新聞によるスクープ?(楽韓Web 2006年07月21日)》
↑昭和天皇のご発言というよりむしろ徳川侍従長の発言だったのではなかろうか、と推理する。

 

富田長官の非公式「メモ」の過大評価を慎み、その政治利用に反対しよう(草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 2006年07月22日)》
↑産経新聞の引用。また、たとえメモが本当だったとしても、分祀論に弾みをつけるなどの政治利用には慎重になるべきである、と主張。

 

「昭和天皇のご発言」は実は侍従長の発言?(思った事をつらつら書く 2006年07月23日)》
↑2ちゃんねるによる疑問点の列挙〔改訂版〕。

 

徳川侍従長の発言ではないのか(読書ノート2 2006年07月23日)》
↑2ちゃんねる発言の引用

 

富田元長官「メモ」の一部しか報道しなかった日経 (草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 2006年07月23日)》
↑管理者曰く:日経新聞は例のメモを公開しないと言っているそうですが、あの富田メモを正当に検証しなければ真実ははっきりしません。……日経新聞は富田元宮内庁長官メモを公開すべきです。

 

昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感 ・・・その後 2(鳳山雑記帳 2006年07月24日)》
↑4.28メモの3枚目に書いてあったこと。

 

日本とは対決しなければならない(依存症の独り言 2006年07月23日)》
↑東条元首相の孫である由布子さんは、メモはねつ造だとして上で、「処刑後、毎年お遣いの方が来られて『ご下賜』をいただいていた。『遺族の者たちは皆、元気にしているだろうか』と、ご心配をいただいた。そんな陛下が、ああいうことを仰るとは思えない」と述べていた。一方、神田秀一氏は、メモが本物であるという前提で、「松岡氏や白鳥氏は国際連盟脱退や三国同盟推進の立役者で、昭和天皇が不快感を抱いていたという話は以前から聞いていた。メモは、『松岡や白鳥までも東條らと同じように合祀されるとはどういうことだ』というお気持ちではないか」という解釈を披瀝していた。

 

天皇さまが泣いてござった(こん 2006年07月23日)》
↑昭和6年、昭和天皇が鹿児島から軍艦榛名(はるな)にお召しになられて、海路を東京へ向かわれたときのエピソードは、陛下のお人柄がしのばれていいですね。

 

「あれ以来」とは昭和50年11月20のご親拝(Let's Blow! 毒吐き@てっく 2006年07月24日)》
↑「元々、今回マスコミの手に渡ってしまった一連の手帳は、彼が常々「私の死んだ時は、私とともに荼毘に付すように」と語っていたことは、一部では有名な話である。」ということらしい。この「ご親拝」当時の政治状況に関する資料。天皇の靖国参拝は憲法違反であるという風潮があった。

 

いわゆる「富田メモ」について(最終)(依存症の独り言 2006年07月24日)》
↑徳川侍従長の発言だったと解釈する。

 

【 (画像)富田メモ@昭和天皇発言問題 捏造ですか?>日経さん 】(Here There and Everywhere 2006年07月24日)》
〔おすすめ記事〕サンデープロジェクトの動画あり。管理者曰く:中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾元文相の発言です。昭和天皇の発言ではありません。……藤尾氏と奥野氏、同じタイプのタカ派と呼ばれていましたが、実は靖国参拝を推進する奥野氏と違い、藤尾氏は靖国参拝をしていないのです。

 

皇室存続を危うくした「富田メモ」大暴露(大磯正美研究室 平成18年7月29日)》
↑管理者曰く:このメモの公表によって、すべての皇室メンバーは「側近」を持つことが不可能になってしまった。これがこのメモ問題の核心である。もはや「側近といえども心を許してモノを言うことができない」と考えない皇族はいないだろう。 また曰く:天皇という存在は「無私」が基本であると考えれば、数人の文民合祀者がいるからといって、そのために幕末以来の戦没者全員に哀悼の意を表しに行かないということはあり得ない。

 

富田メモの仕掛け(coool! 2006年07月31日)》
↑「昭和天皇は実際に合祀を望んでいなかったが、それは、合祀ではなくて、東郷神社とか乃木神社のように軍神として一柱一神で祀るおつもりであった。」という見解。明石 散人『日本国大崩壊 -アカシックファイル』(講談社)がネタ元。

 

「富田メモ」無節操極まる政治利用!(依存症の独り言 2006年07月31日)》
↑朝日新聞は22日の天声人語で「富田メモを政治で過大に扱うのは控えたほうがいい」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに世論調査をして政治利用している。

 
 
 

「富田メモ」の作成者と発言者

 

 富田メモの問題の部分は、手帳にメモが貼り付けられている状態で残っている。また、前日のメモが黒インク(ないし劣化による黒色化?)なのに28日のメモは青インクである。だから、このメモ自体が別人の捏造したものと疑う人々もいる。本来はそこから検証すべき物である。しかし、私はとりあえずそれを本物(富田氏自身が記録したもの)と見なしておきたい。

 しかし、問題の箇所が先帝陛下のご発言であったかどうかは疑わしい。すでにこの問題を扱ったブログでは、徳川義寛元侍従長の発言と見なす見解が多いし、私もひょとしたらそうではないかと思っている。なお、「 [特集] 「昭和天皇」富田メモは世紀の大誤報か」(『週刊新潮』2006年8月10日号の26~30ページ)には「徳川侍従長の発言」説の論拠がかなり詳しく出ている。

 すでにいろいなブログで問題箇所の前の部分の復元がなされているが、ここでも取り上げておこう。

富田メモ1  富田メモ2

26日のメモは私の判読であり、28日③④のメモは、ネット上に出回っている判読結果である。一部読み違いがあるかもしれない。?や?は判読できない文字。

**********************

    
皇太子とバラの間   4.26 14:125-14:50
○李?韓国大使
  前??????????????
○礼宮 PV時 L.A

    ( 和田勇(80)氏 )
     日系人引退者ホーム立寄時

   首席随員  角谷

   英国修学  影井之伊??

○外務次官

  賀陽所長のこと
  両参与の意見を求めて欲しい

○ clarity Bowl 時 (Mrs. Ab?)
 浩宮   dignity ? elegance
      ☆ you??fulness
 ??? while ????.

◎ 大相撲夏場所 行幸見合せ
 決定の背景と経緯について
 知りたしと


********************

63.4.28  ③
    
☆Pressの会見
昨年は 
①高松薨去間もないときで
心も重かった 
②メモで返答したのでつく
していたと思う 
③4:29に吐瀉したが その前で
やはり体調が充分でなかった 
それで??に今年はの記者の
印象があったのであろう 
 =②については記者も申して
おりました         
                    
 戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したが
それは后で云いたい  
 そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった    
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである


**********************

4.28 ④


余 
り 
閣 
僚 
も 
知 
ら 
ず 
そ 
う 
で 
す 
が 
か 
多 
い 
 前にあったね どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったか
 藤尾(文相)の発言.
=奧野は藤尾と違うと思うが
 バランス感覚のことと思う
 単純な復古ではないとも.

 私は 或る時に.A級が
 合祀され その上松岡.白取
 までもが、
  筑波は慎重に対処して
 くれたと聞いたが 
 松平の子の今の宮司がどう考
 えたのか 易々と
  松平は平和に強い考が
 あったと思うのに 親の心子知
 らずと思っている
  だから 私あれ以来参拝
 していない.それが私の心だ
・関連質問 関係者もおり批判になるの意


************************

 昭和天皇の記者会見というのは、「4月29日の朝刊」に掲載するために、実際には誕生日の前、「4月25日」におこなわれたそうだ。その詳しい発言内容は《昭和天皇は1988年4月25日、生涯最後の誕生日記者会見で何を話し、その日は何をしたのか。それと「昭和天皇発言メモ」の検証(愛・蔵太の少し調べて書く日記 2006年7月24日)》に出ている。

 4月28日③からいって、昭和天皇の発言と報道されたものは「☆Pressの会見」の内容と考えるべきかもしれない。最後に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」があるので、問題の部分だけ会見ではなかったとするのは不自然である。しかし、もしそのPressの会見が4月28日にあったとするならば、昭和天皇がこれだけの爆弾発言をしているのに4月28日以降に新聞が記事にしないはずがない。《富田メモを悪用するな(侍従長の発言だろ) / argument(つらつらかきつらねる 2006年7月24日)》によれば、「少なくとも昭和63.4.28に昭和天皇は会見をなさっていないし、富田氏とお会いしたという記録がないとのことです。」

 しかしながら、この「☆Pressの会見」が、4月25日の会見をふりかえって発言している内容であることを示す小見出しであるとするならば、そして、もしこの4月28日の会見に昭和天皇がご臨席なさらずに昭和天皇に近い第三者が記者の質問に答えているのだとしたら、それは徳川侍従長だと想像される。4月中旬に徳川侍従長は退官しているが、しかしその後宮内庁に勤務していたそうである。(→上掲ブログ記事のコメント欄であって、きちんと裏をとったわけではない。) したがって、「私」が徳川侍従長であった可能性は否定できない。25日の会見記事は4月29日(天皇誕生日)の新聞で報道されることになっていたのだから、内容確認のための記者会見があった可能性は十分にあり、しかも陛下が再び会見に臨むことはないだろうから、事情をよく知っていた徳川侍従長が陛下のご発言について解説したと見なすのが自然なのではなかろうか。

 「☆Pressの会見」が3日前のものを指していて、「私」が昭和天皇を意味している場合、この内容は内輪で話されたことであって新聞記者はいなかったと考えられる。ただし、そもそも4月28日に富田氏が昭和天皇に拝謁していないとするならば、富田メモの「私」は昭和天皇ではあり得ないことになろう。仮に拝謁できていたとしても陛下が宮内庁長官という政治的な立場の人にそんなことを直接仰ったのだろうかとの疑問は残る。爆弾発言であればあるほど、これは公開されるべきメモではなかったことになる。

 奥野発言は1988年4月22日が発端らしい。→《奥野国土庁長の靖国発言 中国への言及(児童小銃 2006年7月27日)》 したがって、時系列的には矛盾はない。むしろ、「奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである」とよく合致する。

 私としては「徳川侍従長の発言」説に与したい。ただし、徳川侍従長の会見メモ説だと「徳川侍従長の引退会見」が4月28日にあったというのが絶対条件になるが、それがはっきりしない。メモの「私」が昭和天皇とは考えにくい理由は、25日の会見で「えー、思想の、人物の批判とかそういうものが、えー、加わりますから、今ここで述べることは避けたいと思っています。」と仰っていながら、28日の会見ではしっかり「松岡・白鳥」批判をしていることになり、態度に一貫性が見られなくなってしまうからである。「私」が徳川侍従長なら、彼の個人的な心情として述べる形で、批判すべき人物についての昭和天皇のお考えを代弁したとも考えられる。

 

 多少気になるのは「松平の子」という表現だが、藤尾文相(1917年生まれ)が松平永芳宮司(1915年生まれ)を「松平の子」と呼ぶのは年齢的にいって少し無理がある。その父・松平慶民(1882年生まれ)より年上となると昭和天皇(1901年生まれ)も徳川義寛侍従長(1906年生まれ)も当てはまらないが、まあなんとか不自然ではない範囲に入るだろう。

 
 
 

先帝陛下の御心は何処いずこ

 私はこの箇所を徳川侍従長の発言と考えたいが、もしこれが昭和天皇のご発言であるとしたら、先帝陛下の御心は何処にあるのだろうか。

 

 私としては、東條英機などの忠臣の元A級戦犯が祀られたからというよりも、政教分離の点で政治問題化するのをおそれて御親拝を控えられたのではないかと思っている。当時の政治状況を考えると、それが最も妥当なものと思われる。

 もちろん、白鳥・松岡が合祀されたことは非常に御不快であったと思われる。先帝陛下は親米英の立場であり、彼らが陛下の意に反して大日本帝国を戦争に引きずり込んだとお考えになっておられたのではあるまいか。逆臣とまでは言わずとも、陛下のお立場からはとても彼らが日本の安全保障のために命を捧げたとは思えなかっただろう。それに、そもそも松岡は病死なのであって戦没者とは言えない。

 「つねに公であられる天皇陛下が、私的な感情で靖国神社の御親拝をおやめになるはずがない。」という意見もいくつかのブログでみられた。しかし、私としては個人的心情から御親拝をおやめになる可能性も十分にあったと考えている。少なくとも戦後は靖国御親拝は公的な行為(国事行為)ではなく、あくまでも私的な行為であったはずである。御親拝は国事行為のうち「十.儀式を行ふこと」に含めることも可能かもしれないが、十分に宗教活動だと思われるので、公的だとすると政教分離の原則にひっかかる。天皇が国事行為に私情を差し挟むということはあるべきではないし、また無いとは思うが、私的行為に関しては、私情が差し挟まれることはある程度かまわないし、靖国神社の御親拝に関しては私情(というか個人的心情)も大いに関係していたのではないかと思う。

 もし「それが私の心だ」というのが先帝陛下のご発言であるならば、個人的心情の側面からは、むしろ白鳥・松岡が合祀されたから御親拝をなさらなくなったという意味であって、必ずしも東條英機ら忠臣のA級戦犯が祀られたから御親拝をなさらなくなったという意味ではないだろう。先帝陛下は(今上陛下も)毎年欠かさず侍従を代参させている。公の立場としては、代参で義理は果たしているし、筋も通したことになろう。しかし、御親拝という行為の陰には、深い格別の御心情が存在していたはずである。

 靖国神社には天皇のために自らの命を捧げた英霊達が祀られているのであって、少々極端な言い方をすれば、陛下が自分の命令で戦地に赴かせたようなもの(“赤紙”は帝国陸海軍によるものだが、その名義的最高責任者は天皇であると言えないこともない)である。したがって、その法的責任の有無にかかわらず、やはり自分のために命を捧げた人々の御霊に会いに行くのは心情的に自然であったのではないかと思う。昭和天皇は戦没者に対して罪責感のようなものはなかったかもしれないが、その労をねぎらい勲功を讃える気持ちは強かったのではないかと思う。軍艦榛名でのエピソードが語るように、自分のために尽力してくれた人々に対する先帝陛下の思いは非常に深い。人によっては七回生まれ変わってもお仕えしたいと感じるくらい深かったのではあるまいか。

 そして、親米英路線を進んでいれば犠牲にならなくてよかった多くの英霊達のことを思うと、松岡・白鳥に対する不満・不快感は察するに余ることではなかっただろうか。国民(戦争当時は臣民)への思いが深ければ深いほど、彼らが祀られている靖国神社への御親拝には複雑な気持ちをお持ちだったのではないかと思う。

 今上陛下にも御親拝を望む声があるが、私としては御親拝の意味が少し違ってくるのではないかと思っている。すなわち、今上陛下が直接戦地に赴かせたわけではないのだから、第三者による戦没者の慰霊という意味になるだろう。それはそれで意味のあることだろうが、とくにその場所が靖国神社でなければならないという必然性はない。靖国神社の英霊達は明治・大正・昭和天皇のために命を捧げたのであって、直接に今上天皇のために命を捧げたのではない。英霊の心情を慮るに、無理に政治運動にするほどの必然性は感じない。今上陛下が御親拝なさりたいということなら、政治運動にしてもかまわないが。

 

 たとえ「富田メモ」が本当に昭和天皇のご発言をメモしたものであったにせよ、私としては平和に反する東條英機などのA級戦犯が合祀されたから御親拝なさらなくなったとは思わない。戦前の政治状況に関する昭和天皇のご見解については、今きちんと資料に当たっていないのでできるだけ言及を避けたが、ひとたび戦争になったら戦果をあげる努力をした者が忠臣であることになるのだから、東條英機ら戦争遂行者を平和に反するものとして忌避していたというのは絶対にあり得ないことだろう。昭和天皇が平和を愛するが故にA級戦犯の合祀に反対されて靖国神社に御親拝なさらなくなったという理由づけは、あまりにも単純すぎる。というか間違った見解だろうと思う。

 昭和天皇の御心についてはいろいろな解釈があると思うが、私としては常々こんなふうに想像している。

 
 
 
 
 

 紀子妃殿下のご出産も迫っていることだし、そろそろまた皇位継承問題について書かないとなあ・・・。(^^;

 
 
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【2006/08/09 23:18】 政治 | トラックバック(1) | コメント(0) |

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松平永芳宮司の思い出~その2

 靖国神社への天皇陛下の御親拝が途絶えた理由が、「A級戦犯」合祀によるものと、一般には流布されている。7月20日に「日本経済新聞」が「昭和天皇不快感」と富田メモを断定的に報じてより、その傾向は一層強まった。地上波放送の各局のキャスター、コメンテーターも、知.. 日本大好き、好きです早稲田日記【2006/08/16 20:31】

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