時事評論@和の空間
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日の丸・君が代裁判 今回はライブドアPJがおもしろかった

 日の丸・君が代を教員に強制するのが違憲だという非常識な判決が2006年9月21日に東京地裁で出たが、ネット上にはこれに対するさまざまな意見が出ている。今回は、ライブドアPJオピニオンを見てみたい。

 いつもつまらいなライブドアPJオピニオンだが、今回はいいこと言っている。プロ(?)市民参加型のオーマイニュース・ジャパン(嗤)と比較して、ライブドアはまともなオピニオンを展開するようになってくるかな?

 
日の丸・君が代が違憲? 式典をする左派教師達(ライブドアPJオピニオン)》
いささか極端な話だが、同じ式典である葬式に例えてみれば分かりやすい。「友人の葬式に参列する事がなったが、派手好きな自分としては真っ黒な喪服は自分の思想の反する、思想・良心は憲法で保障されているので、自らの思想に合った金色のスーツで葬式に参列したい」などと申した者と、今度の左派教師の主張は全く同列である。式とは“形と秩序”が最も優先させるべき事項だ。

 自分の思想・良心の自由と矛盾対立する社会的場所にはいかない、そういう場所に出掛けるときは自らの行動上の自由を抑制して形式上は主催者側に合わせる、というのが社会人の常識だと思うんだが。左翼教師は何やってんだか。。。

 

 《慰謝料請求だって? 「先生」の国歌斉唱問題(ライブドアPJオピニオン)》は、もっと痛快だ。

カネのために信念をねじ曲げ、市民からカネをたかる。けれども教員としての職責は全うできない。こんな「先生」が、ぬるま湯につかったような学校という職場で、ゴキブリのように増殖しているのだ。こんな不逞の輩は「先生」失格というより人間失格の烙印を押されてもいたしかたない。
 
稀にみる反国家的な不当判決!国歌斉唱訴訟(ライブドアPJオピニオン)》
 「甘えるんじゃないぞ!」と、訴えを起こした側に非難の矛先を向けたい。都立高の教職員たちが起こした訴訟は「甘え」であり「権利に託(かこつ)けた我がまま」以外のなにものでもない。教職員も人間であり日本国民として思想信教の自由はある。だが、同時に「公務員」である。
 
……〔中略〕……
 
 また「強制は違法、違憲」と判断した東京地裁・難波孝一裁判長は、法律家であると同時に国家公務員であるにもかかわらず、国歌と国旗を否定するに等しい判決を下した裁判官として厳しく批判されなければならない。
 

 ライブドアPJは完全に右寄りかというとそうでもなく、上の記事に噛みついたPJもいる。《日の丸、君が代の判決はまともです(ライブドアPJオピニオン)》では、名にしおわば永野薫ちゃん【千葉県】が香ばしいオピニオンを放っているので、注目したい。

 日本人は日の丸を先頭に、戦争に駆り立てられたのです。ほんとうは負けているのに、勝った、勝ったとだまされて。だから、日の丸を嫌悪するのです。これは、普通の人間の普通の感情でしょう。しかし、戦後61年が経ち、戦争経験者も少なくなり、若い人たちは戦争の事実をあまり知らされていないので、国旗、国歌のどこが悪いと思われるのでしょう。それに年配者で、国旗、国歌に違和感のない人は、戦争で被害を受けていないか、被害の少なかった人ではないかと思います。
 
 軍人・軍属250万人、民間人50万人、アジアでは1500万人とも2000万人ともいわれる人々が生命を落としました。戦場や空襲あるいは原爆、どの一つをみても涙なしにはいられるものではありません。

 アジアの1500万人とも2000万人ともいわれる犠牲者の数が嘘くさいが、もし正しければ日本は勝った部類に入っているだろう。日本人の犠牲者が300万人とすれば5倍以上も殺したのだから。中国には勝ってアメリカに負けたというのが、おそらく大日本帝国軍の言い分だろうし、少なくとも軍事的優勢にはあったはずだ。

 それに、この人は大東亜戦争の頃に中国では国民党と共産党がしばしば内戦状態にあったことを知っているのだろうか? どうせ内戦の犠牲者を日本軍による死者に上乗せして提示しているに違いないのである。兵隊よりも武器を大切にしたと揶揄される大日本帝国軍が、無抵抗な民のために無駄に弾丸を体の中にくれてやることはほとんどなかったはずである。どうせ抵抗した共産党ゲリラが軍人ではなく民間人として数えられているだけである。

 もし被害者意識から国旗・国歌に反対しているのなら、この人自身は実際に戦争被害は受けていないだろうから欺瞞的意見だろう。また、もし仮に日本人の戦争犠牲者がゼロで敵国に大量の死者が出たとすれば、この被害者論理では国旗・国歌は(少なくとも日本国内では)日本人に違和感なく受け容れられることになる。戦争被害者がむしろ少数派になっている現在、そしてほんとどゼロになるだろうこれからは、ますます国旗・国歌に違和感を感じて反対する理由がなくなる。反対者の根拠は体験的なものではなくて観念的なもの即ち思想的なものである。被害者感情の論理はもはや無効になりつつあるのであり、また、敵国(中国)の被害者への思いやりも、敵国の被害者が存在しなくなる今日において有効性がますます小さくなっている。中韓が騒ぐ靖国問題も、もしほんとうに被害者意識から言っているのだとすれば、あと数年で消えるだろう高齢者の最後の叫びなのである。

若い人たちは、事実をご存じないままなのではないでしょうか。そのため国旗、国歌と社旗、社歌が同じにあつかえるのではないでしょうか。

 おお、そんなこと言うなら朝日新聞社の社旗をなんとかしてくれ。あれをみると旭日旗を思い出して、平和主義の私としては不快で不快でしょうがないんだ。私にとっては日の丸(日章旗)よりも戦後ほとんど使われなくなった十六条旭日旗のほうがよほど軍国主義の象徴的デザインなのである。ちなみに、明治3年5月15日太政官布告により「陸軍御国旗」が16条旭日旗に定められ、また、1889年(明治22年)10月7日に海軍旗章条例により帝国海軍の軍艦旗として十六条旭日旗が定められた。詳しくは《旭日旗(ウィキペディア)》 朝日新聞社の社旗は、おそらく大日本帝国軍の四分の一ほどの責任を象徴しているぜ。(嗤)

旭日旗

 ちょうどいい画像がないが、朝日新聞社の社旗は《こちら》を参考にしてほしい。

 教員が日の丸(日章旗)と旭日旗を一緒くたにして嫌っているようでは、若い人は歴史をよく知ることができない。旭日旗が日本の軍旗で、日章旗(日の丸)はもっと広範に日本国全体を意味する旗である。日本の帝国主義を批判したいならば、その象徴として日章旗(日の丸)ではなくて旭日旗を持ち出すべきである。日章旗を否定するのは、歴史的無知によるか、さもなければ日本国全体の否定(共産主義革命か?)を象徴的に意味することになろう。ちなみに、旭日旗を使っている自衛隊のみなさんは、そのような左翼の言論に負けずに頑張ってください。国防は絶対に必要な誇りある任務です。

 靖国参拝で異議を言っているのは、中国、韓国だけのように報道されていますが、シンガポールなどアジアの国々では、戦争中の日本軍のしたことをきっちり教えているそうです。日本人は忘れてもアジアの人たちは憶えているのです。このまま流されていては、近い将来にも国際摩擦になって、日本に跳ね返ってくるように思われます。

 シンガポールで華僑が盛んにアジっているの知らないの? それを朝日新聞などが大々的に取り上げているだけ。摩擦を作り出しているのは中国なのね。

 このPJは、たぶんまだ若くて左翼教育(このひと千葉県だもんなあ)や新聞社の洗脳から解き放たれていないのだろうけれど、朝日新聞のライブドアPJ支局にだけはならんでくれよ。(^^ゞ 私はこのページにはGoogleニュースで検索してきたわけで、一般のブログと違ってそれなりに多くの人に見られているんだから。

 
 
 
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【2006/09/26 18:37】 教育 | トラックバック(4) | コメント(0) |

教員に国歌斉唱の強制は違憲だと?

 2006年9月21日、東京地裁で呆れる判決が出た。そこで、今回と次回でこの問題を扱うことにした。

 
 

難破難波裁判で日本丸が沈没する

 

 他のブログでも、この裁判長は忘れないぞと何度も名前を出している人がいたが。私も書いておきたい。一年ほど前に大阪高裁で靖国参拝は違憲という香ばしい判決を出した大ダニ政治という名前(だったかな?)の裁判長に続き、こんどは電波香一・・・あ、言い間違えた、(^^ゞ 難波孝一裁判長が非常識な判決を出している。

 強制はいけないなどと寝惚けたことを言ってきたから、卒業式が成立せずに広島で校長が自殺する結果まで招いたんでしょう。それでわざわざ国歌・国旗に関する法律ができたんでしょう。左翼教員のためだけに教育があるんじゃないの! 一般国民が次世代の健全な育成を願って教育に税金をつぎ込んでいるの! 国を軽視するというか反抗心さえ植え付けるような起立拒否・国歌斉唱拒否という象徴的行為を率先して学生に見せておいて、それがどうして教員と言えようか。教員は、国旗国歌という象徴物に反対するよりも、肝心の国の中身をよくすべきと教えていけばいいのである。

 実際、戦後教育がバラバラ家族をはじめ、孤立した人間関係や、まとまりなき国民を作り上げてきた。まとまっていったい何をするのかが最終的に問題なのだが、軍国教育のトラウマから、そもそもまとまりを作る根源力を否定することになったのが戦後教育なのである。国歌斉唱は、日本人としてのまとまりを意味する象徴的行為である。国旗・国歌を拒否しようというのは、日本という国のまとまりを拒否しようとする象徴的行為とも見なされる。拒否している本人たちはそう思ってはいないのだろうが、はたから見れば、「こんな教育をされていたら、若い世代が日本をまとめていこうとする気持ちを持てない。」と思うばかりである。

 べつに軍歌を強制しているわけではない。日の丸に対して軍国主義の匂いを感じるということ自体が、すでにトラウマなのである。まあ、幼児期に親からたっぷりと戦争中の不幸話を刷り込まれてきたのだろうから仕方がないのかもしれないが、なかにはGHQと戦後左翼思想のマインドコントロールから脱け出せない教員もいるのだろう。可哀相なことだ。むしろ教員をやめてひとりでゆっくり頭を冷やしたほうがいい。

 

 《『日の丸・君が代』被処分者のいま 私だけが座っていた(東京新聞 2006年9月19日)》が、判決前から少々デムパを発信していた。この記事は、2004年3月、東京都日野市の都立七生養護学校の卒業式の国歌斉唱のときに、百人を超える教員が一斉に立つ中で、教員としてはただひとり立たなかった河原井純子教諭(56)=現・八王子東養護学校=のレポート。

 「起立」派の同僚には「かつて私たちを冷たい目で見た人たちも皆、立ったじゃない」と言われた。その「皆」たちは「国旗国歌には反対だけど家のローンがある」「退職金をふいにできない」とこぼした。

 まあ、金のために信念を曲げるんだから、他人のことをとやかく言えるものではないな。左翼といっても甘ったれ左翼がほとんどだということだ。そもそも文部省や教育委員会などが勝手な教員を甘やかしてきたからこんなことになった。戦後日本は、君が代と日の丸のもとで再出発を果たしたということになっているんだから、その再出発の方向性が正しければ日の丸と君が代を問題視する必要はない。公務員としての教員は、自分達が“親方日の丸”で生きているんだということを忘れて貰っては困る。

 そして、処分を受け続けてきた町田市立鶴川二中の根津公子教諭(55)に関しては、停職期間中に校門前にメッセージを記したプラカードを手に日替わりで訪れていた様子をみて、

「給料もったいないから立っちゃいなよ」「君が代歌っても戦争になるわけじゃないでしょ」 登下校する生徒が声を掛けていく。

 あはは。生徒のほうがまともだ。思いやりもある。君が代を歌わせる人間は冷酷無比な人間だというような強い思い込みで反応する訂正不能な冷たい思想家たちとは違う。(嗤)

 笑ってしまうのが最後のデスクメモ。

旗を振ってお題目を並べるのはヤボだが、旗ならぬ権力を振り回すのはもっとヤボ。それに迎合しちまって、長いモノに巻かれるやからは下品でいけねえ。江戸庶民の伝統は「意気地」と「心意気」。それが粋ってもんだ。「心の東京革命」? 革命たあ恐れ入った。こちとら根っからの「保守派」なもんで。(牧)

 てやんでえ~、江戸庶民の伝統は「意気地」と「心意気」で、それが粋ってえ~もんかもいれねえ~が、処分されたってやせ我慢 するのが江戸っ子ってえ~もんよ。( ̄^ ̄) それを不当だと“お上”に訴えるほうがよっぽど野暮ってえ~もんさ。それに、卒業式で国家も歌わずに黙っているのが保守派なんて、おめえ頭がどうかしちまったんじゃねえか? お祭んときゃあ“はっぴ”を着て我先に神輿を担ぎにしゃしゃり出るのが江戸っ子よお!

 

 《国旗国歌の強制 違憲判決の重みをかみしめよ(愛媛新聞社説 2006年8月23日)》は結構つよいデムパを発信している。

 国際的なスポーツ大会では国旗掲揚や国歌斉唱がつきものだ。日本の選手やチームが勝利した後に日の丸が掲揚されたり、君が代が演奏されたら、誰もが感激を覚えるはずだ。  しかし、それは自然にこみ上げる感情だから尊いのであり、強制されたのでは興ざめだ。ましてや心豊かな子どもたちを育てる教育現場にあって、教師に強制するのはなじまない。

 「心豊かな子どもたちに強制するな」ならまだわかるが、自分の間違った感情だけで判断をして行動を決定するような教員では困るんだが。。。自分の中の日の丸に対する嫌悪感を克服して、子供達の心の中に平和な国の象徴としての日の丸イメージを作り上げるのが教師の役目だろうに。

 一九九九年八月に国旗国歌法が成立、施行されたのを受け、都教委は二〇〇三年十月に通達を出した。卒業式や入学式などで日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務づけ、通達に基づく校長の職務命令に教職員が従わない場合は責任を問われるとした。
 その結果、都教委職員が各学校の式典に出向き、教員の誰が起立しなかったか、歌を歌わなかったかを調査するという異常事態になった。従わなかった教員は処分した。

 調査するのが異常事態ではなくて、起立しないのが異常事態だ。国旗国歌法が成立する以前に異常事態が起こっているのであり、それを異常事態として明確にするようになっただけの話である。まあ、愛媛新聞は教員の自分勝手が正常事態だと思っているようだから、話にならないが。

 県内の学校では以前から日の丸掲揚や君が代斉唱が定着しているため、職務命令などによる指導は行われていない。一方、共同通信の調べでは東京以外にも滋賀、広島、鳥取、福岡の各県が君が代斉唱などの職務命令を出して徹底を図っている。

 公立で扶桑社の教科書を採択したところは東京都の教育委員会と愛媛県の教育委員会だけである。愛媛県の教育委員会が正常だからスムーズに卒業式が執り行われているのである。ここに、正常な愛媛県教育委員会と、盛んに反日勢力の煽動をしている愛媛新聞という基本構図が見えてくる。

 こんな軍隊のような上位下達が教育現場にふさわしいわけはない。通達以降、校長は都教委の方針を伝えるだけのロボットみたいな存在になったという。教員は式典のたびに踏み絵を踏まされる心境だろう。

 はいはい、上意下達だとすべからく軍国主義ですか。ちなみに愛媛新聞は漢字が間違っているからね。そもそも集団にはそれなりの規律があるんでね。規律がなければ組織として目的が遂行できないだろう。だから、規律違反者は最悪で追放である。そのまえに集団の目的に賛同できない者は自主的に脱退するのが普通だ。日の丸や君が代という象徴物に敬意を払えないというのは、国家を軽視する態度を意味する。そういう人に教員であってほしくはない。

 
 
 

都知事と国のまともな反応

 
小泉首相「法律以前の問題だ」(2006年9月21日21時56分 スポーツ報知)》
 小泉純一郎首相は21日夜、教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務はないとした東京地裁判決について「判決は聞いてないが、人間として国旗や国歌に敬意を表するというのは法律以前の問題だ」と述べた。
 
 国歌斉唱などを強制することについても「法律以前に人格や人柄、礼儀の問題だ」と強調した。
 
 国歌斉唱しないことなどを理由とした教職員の処分については「これは裁判をやっている。裁判でよく判断してほしい」と述べた。

 これがまともな大人の意見だ。非常識な教員がいるから強制になり、それにも従わないから処分になる。そもそもこういう人が教員をやっていること自体が問題ではないのか。

 
石原都知事が控訴方針…国旗・国歌通達の違憲判断(2006年9月22日20時50分 読売新聞)》
 入学式や卒業式で教職員に国旗に向かって起立し、国歌斉唱するよう義務づけた東京都教育委員会の通達を違憲とした21日の東京地裁判決について、石原慎太郎都知事は22日の記者会見で「控訴しますよ。方針は変わらない」と述べ、控訴審で都側の主張を訴えていくことを明言した。
 
 石原知事は「式典で国旗・国歌に敬意を払う行為は(学校に)規律を取り戻すための統一行動の一つ。裁判官は実態を見ていない」と反論。通達は文部科学省の学習指導要領などに基づく適法なものだとして、「義務を怠った教師が懲戒処分を受けるのは当たり前」と述べ、正当性を強調した。
 
 一方、小坂文科相は、この日の閣議後会見で「これまでの判決と照らして予想外で、都教委の主張が認められなかったことは驚き」と話し、都の対応を見守る考えを示した。
 
         ◇
 
 都教委は22日、この問題で緊急の都立学校校長会を開き、従来の方針に変更がないことなどを伝えた。副校長などの代理を認めず、島部などの学校を除き251人の校長が出席した。
 
 出席者からは「今後どのようにして裁判を争うのか」「職務命令はどのように考えたらよいのか」といった質問が出され、都教委側は「態勢を強化して臨む」「判決で行政行為が阻まれるわけではない」などと回答。今後も、通達に従って対応するよう求めた。
 
 校長の1人は会合後、「職員に理解してもらうのは難しい面がある。矢面に立つのは私たちだ」と厳しい表情で話していた。

 裁判所がデムパを流して左翼教員に口実を与えてしまった。非常識な裁判所が校長を苦しめているのだということを理解して貰わなければなるまい。もっとも、電波裁判長は自分の判決がどういう結果をもたらすのか理解していないのだろうが。

 ところで、右寄りのネット上ではときどき批判される杉浦法相だが、今回は珍しく(?)まともなことを言っている。

 
「血塗られても英国は変えぬ」 国旗めぐり法相発言(朝日新聞 2006年09月22日13時02分)》
 東京地裁判決を受け、杉浦法相は22日の閣議後の記者会見で、「個人的な一議員としての感想」と強調した上で、英国旗「ユニオンジャック」を例に引き、「『血塗られたユニオンジャック』という表現があるくらいだが、それでも英国民は国旗として変えない。そこを思い起こしてほしい」と話した。判決は、国旗掲揚・国歌斉唱は有意義としながらも、日の丸、君が代が軍国主義思想の精神的支柱だったことに触れ、起立・斉唱拒否に理解を示した。
 
 杉浦法相は「一部報道では、日の丸・君が代が軍国主義を連想させると言うが、戦争に至った経緯とは関係がない」と話した。

 そう、この判決で最も異常なところは、日の丸・君が代に対するあまりにも偏向した観念を、教育上ひとつの正当な思想であるかのように扱ったことである。日の丸には暗い歴史的経緯があるというのならば、そもそも「教師」というものは戦前には軍国主義教育、彼らがきっと喜びそうな言い回しをすると殺人者養成教育を行なったのだから、日の丸・君が代に反対する教員は、そのような血塗られた学校および教師という存在そのものに自分がなっていることを忌避すべきなのである。昔のことを言い出したら、傷のないものなどこの世に存在しない。

 
 
 

このテーマは次回に続く。

 

〔参考記事〕主要新聞の引用が豊富
国旗・国歌、混乱させてるのは教師の方です(ぼやきくっくりFC2版)

 
 
 
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【2006/09/24 23:22】 教育 | トラックバック(5) | コメント(0) |

『天皇の遺伝子』を読んで ~皇位継承を考える(19)~

 今回は、蔵琢也『天皇の遺伝子 -男にしか伝わらない神武天皇のY染色体』(廣済堂出版 2006年 1600円)を紹介して、Y遺伝子説についてちょっとだけ考えてみたい。

 
 

 この本は、旧宮家の復帰による男系維持派の立場で真っ当な議論を展開している。まず、「天皇たるにふさわしい条件」として、
(1)父系をさかのぼると古代の天皇につながること(万世一系の条件)
(2)臣籍降下の(皇室以外のほか姓と家紋を同伴した)時間の短さ
(3)現代や近代の天皇との血縁の強さ(Y染色体以外の遺伝子共有率)
を挙げる。そして、明治帝と(旧宮家の)東久邇家系の男子のDNA共有率と、愛子内親王殿下の皇女のDNA共有率を比較したりする。(p.34)

 進化生物学者の蔵琢也氏によるこの本は、遺伝子の観点から男系維持の重要性を説いている。Y遺伝子の継承メカニズムについては八木秀次氏も詳しく説明しており、すでに御存知の方も多いと思うが、蔵氏の著書では、祖母-母-娘という純粋な女系継承はミトコンドリアDNAの継承に相当するという観点を含めて総合的に説明している。もう少しだけ踏み込んでY遺伝子説を理解したい人にはオススメである。ただし一般向きなので学問的には不足だろう。

 また、この本は単に生物学的な観点からの論述にとどまらず、皇位継承を歴史的な事象との関連でも論じている。

 第一に、一般的には苗字(姓)や家紋が男系継承で存続してきたことや、純粋な女系で継承されていたものとして“女紋”(p.91)が存在することなどを提示している。これは、「血のつながり、家系というのは19世紀までははっきりしなかったが、現在の知識からすれば遺伝子の系列のことである。」(p.214)とする著者の見解と並行するものであると言える。

 第二に、有識者会議によって父母どちらかがつながっていればよいと定義された「女系」(実際は双系または雑系)の天皇は歴史的には存在せず、直系継承のケースも歴史的には全継承ケースの半分しかなかったと論じる。そして、女性天皇の時期に異常事態が多いとして、孝謙天皇の例を挙げる。また、君主の正統性が低くなった時にいかに混乱が起こるかを、則天武后などの例で説明している。「原始母系社会論」を展開した文化人類学者もいて、それを論拠に古代は母系だったのだから初期天皇の男系は疑わしいなどという論陣をはる人々もいるが、「生物学者のあいだでは原始の人間は父系だったのではないかという意見が強い。少なくとも逆の意見は、系統分岐の推定といった進化論の初歩と矛盾しているため、無理がある」(p.101)。

 第三に、神武天皇などの初期天皇にも言及し、一つの学問的歴史観を提示する。私の見解(ファンタジー?)とは違うが、歴史学的には正当な論述である。

 蔵氏の本のおもしろいところは、DNAからみた日本人起源論に言及するところであり、「可能性は低いが」と断わってはいるが、天皇や古い神主家系はD型(モンゴルに極端に多い)の可能性があるとまで示唆している(p.207)。やがてY遺伝子の分析によって古代の謎が解かれていくだろうという。

 

 1963年生まれの蔵氏は、インターネットもよく見ているようである。彼は現在のネット潮流を“新「尊皇攘夷」運動”と形容している。そして、このような観点から有識者会議を批判し、日本の将来を占っている。この現状把握は、ネット上で男系維持を主張している人々とほぼ同じであろうと思われるし、このような見解が著書としてインターネットの枠を越えて一般人の目に触れることは喜ばしいことである。

 彼が見た掲示板(2ちゃんねるか?)の書き込みで印象に残っているのは、「未来の女帝や女系(多系)天皇の諡号(生前の行いを勘案し、死後に贈られる称号、贈り名)は、「破統」天皇だ」というものである(p.239)。私見としては、国民が勝手に決めたから即位したのに汚名を着せられるというのも可哀相なことだが、本人が皇位継承を断固拒否しないのならば、その責任は破統天皇自身にあることにもなろう。

 
 

**********

 
 この本を読んで私の立場から役立った記述をまとめ、私見を少々加えておきたい。この本を読む前に目を通しておくと理解しやすくなるだろう。私は生物学の専門家ではないので遺伝子の解説についてひょっとしたら間違っている記述があるかもしれないが、専門家からのご指摘をいただければ幸いである。

 

 人間の細胞は、細胞核と細胞質からなる。

 細胞核のなかには遺伝子と呼ばれる染色体が格納されている。その染色体は、DNA(デオキシリボ核酸)が対になって連なっており、この対になった塩基の組み合わせ(DNA配列)によって遺伝的性質が決まってくる。DNAは、父からのものと母からのものがほぼペアになって、二重に巻いた構造になっている。(Y染色体とX染色体は形が大きく違うのでペアとは言えない。)

 分子生物学などのミクロの生物学では、タンパク質を作るときの設計図になるような「明確な機能」をもつDNA配列のまとまった単位の一つ一つを「遺伝子」、そして全DNAの中でその遺伝子の存在する場所を「遺伝子座」と呼び、DNA配列の中で機能のほとんどない(と想定される)部分は遺伝子とは呼ばない(pp.51-52)。これ以降、遺伝子の数がいろいろと出てくるが、全DNA配列からみての数字なのか、明確な機能をもつ「遺伝子」に言及しているのかを区別しないと頭が混乱するだろう。

 科学の進展によって数値は変わってくるが、概数としてはDNA塩基が50億以下、遺伝子が10万以下である(p.54)。また、DNA塩基数は40億程度(p.51)、遺伝子数3万で(p.53)、それがほぼペアになっているので倍にして遺伝子数6万になる(p.54)という記述もしている。

Y染色体DNA塩基対は4000万~5000万で、人間の遺伝子(全DNA塩基数40億程度)の1%くらいをしめている。そのうち機能をもつ遺伝子は255個であり、Y染色体の全DNA配列の1~2%くらいである。(以上はp.69) ちょっと計算が合わないような気がするが、DNA塩基一つ(2ビット)だけでは意味をなさず、たとえば一つの英数字を表わすために1バイト(=8ビット)必要なように、1個の遺伝子を塩基セットとして数えているのだろう。概数でいって2600塩基対くらいで1個の遺伝子として機能しているのだろうか。←私は専門家ではないので、このあたりはよく分からない。

 Y遺伝子は、1遺伝子あたり500世代に1つの変異がある。すると、Y遺伝子は255個あるのだから、2世代に一カ所くらいはY遺伝子が変異していることになる。(以上はp.69) この突然変異の頻度を引き合いに出して、「Y染色体が受け継がれるといっても2世代で部分的な変化があるならば、Y遺伝子は不変で継承されているなどとは言えないだろう」という反論が出て来る。これを大きな変化と考えるのか小さな変化と考えるのか。それは、天皇の遺伝子を完全に調べて、さらに一般の日本人の遺伝子と厳密に比較しなければ明確な結論は出ないのだろう。

 ちなみに神武天皇から70世代後の今上天皇は、35/255=0.137ほどY染色体が変異している可能性があるのだろう。14%も微妙に変化しているから、もはや同一のY染色体とは言えないと見るのか、完全なる神様が14%ほど傷ついたと見るのか(^^ゞ その解釈は難しい。ちなみに旧宮家の今上天皇と同じ世代(18代離れている)の男子は、今上天皇と比べて9/255=0.035すなわち3.5%ほどY染色体が変異していることになる。それを誤差の範囲とみるか、別系統のY染色体になったと見るか。さらに清和源氏でみると、42代離れているとして21/255=0.082すなわち8.2%ほどY染色体が変異していることになる。同じものが少々傷ついただけと見るのか、内容的に別のものに変質してきたと見るのか、議論の分かれるところだろう。

 

 ミトコンドリアDNAの継承についても正確に理解しておかなければならない。ミトコンドリアDNAは、(一般的には)母親からしか継承されない。

ミトコンドリアのDNA配列は16,569個である。細胞核にある全染色体のDNAのおよそ20万分の1であり、Y染色体(のDNA塩基対)の3000分の1程度である。(以上はp.60) ただし、ミトコンドリアDNAは突然変異はなかなか起こらない。

 

 ところで、神武天皇のY遺伝子をもつ人は何人くらい存在するかという議論で、蔵氏は5万人~2000人くらいだろうと推定している(p.73)。私の見解は少し違う。孔子の男系子孫は大体75代から77代位の人が多く、その子孫が全世界に三百万人いるそうである。(→《男系絶対主義はシナ文明、女系容認が日本文明/日本とシナ・朝鮮では親族構造が異なる/シナ・朝鮮では同姓不婚 妻は夫の姓を名乗れない つまり男系絶対主義/男系絶対主義を神聖化することによる危険性 以下は同志、酒井信彦氏の講演「男系天皇絶対主義論の危険性―(マスコミ情報操作撃退作戦 2006年08月02日)》) 天皇も世代数でいけばだいたい70代くらいだから、数百万人くらいはいるのではないかと思う。なにしろ神武天皇氏族は源氏や平氏としても全国規模で(藤原氏とともに)支配階級を独占してきたので、孔子の子孫以上に繁殖機会に恵まれていたはずだからである。孔子家系の例を使って概数を推定をしてみると、各世代で男子が1.22倍に増えるとして75代で、1.2176≒200万(人)だから、孔子家系と同じ増加率で70代では、1.2170≒60万(人)となるのである。ちなみに増加率を1.23にすると、1.2370≒200万(人)である。

 

 Y染色体からみると、日本人の半数弱がO型(中国と東南アジアで大多数を占める)の弥生系で、残りの半分が縄文系で、3割弱のD型(日本以外ではチベットのみに多い)と1割強のC型(広く太平洋に分布)、数%のN型(フィンランドや東シベリアに多い)から構成されている(p.199)。p.201に図あり。しかし、どの国の人々は何型というように単純にわけられず、たとえば中国戦国時代に山東省一帯を支配した斉国の人骨のDNAを調べたところ、現在の東アジア人よりずっとヨーロッパ人に近かったという(p.76)。蔵氏は「天皇や古い神主家系は、D型の可能性あり」(p.207)としているが、古代にも民族移動はあったのだから、天皇はフィンランド人と同族などということもありうるのかもしれない。私は暫定的に、天皇はチベットの西端から中央アジアを回ってさらにモンゴル高原の北を通って日本にやって来たと想定している。(→《天皇はどこから来たか》)

 Y遺伝子のほかに言語の観点から日本人の起源を考えている点も興味深い。日本語の文法だけからすると日本語はアルタイ語系であり、朝鮮語とも近いように見える。しかし、基本単語が突然変異型で時間とともに変化すると仮定すると、日本語と朝鮮語は8000年も異なるという推定もある。これは、2000年前に弥生系渡来人が朝鮮からやって来たという想定とは一致しない(p.210)。もっとも、日本にはすでに縄文系の人々がいたので生活基本単語が半分ずつ残ったとすれば4000年くらいの距離になるのかもしれないが、私は言語学に関してもさほど詳しくないので明確なことは言えない。

 
 
 
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〔シリーズ:皇位継承を考える〕
皇位継承を考える(1)万世一系の天皇と国家
皇位継承を考える(2)男系維持の方策(その1)
皇位継承を考える(3)男系維持の方策(その2)
寛仁殿下は男系維持を希望 ~皇位継承を考える(4)~
寛仁殿下の「事実」発言 ~皇位継承を考える(5)~
宮内庁の皇室潰し ~皇位継承を考える(6)~
紀宮清子内親王の結婚 ~皇位継承を考える(7)~
新たな有識者会議での再検討を求めたい! ~皇位継承を考える(8)~
首相の真意はどこに? ~皇位継承を考える(9)~
ネット投票から推定した世論 ~皇位継承を考える(10)~
朝日の世論調査は情報操作?! ~皇位継承を考える(11)~
万世一系の天皇家&旧宮家系図 ~皇位継承を考える(12)~
紀子妃殿下ご懐妊に思う ~皇位継承を考える(13)~
NHK世論調査にみる一知半解の「女系天皇」容認派 ~皇位継承を考える(14)~
「朝まで生テレビ」を見て ~皇位継承を考える(15)~
男系存続の確率論 ~皇位継承を考える(16)~
天孫宣下をすべき ~皇位継承を考える(17)~
皇族方の精神衛生 ~皇位継承を考える(18)~
【2006/09/05 20:55】 皇室 | トラックバック(2) | コメント(3) |

人権擁護法案がよみがえる?

 またまた動きだしたのか、やれやれ。(;´д`)

 こういうことは私が力を入れてやるべきことではないと思うのだが、時事評論ブロガーの責任として、こういう機会にたまには記事を書いておこう。

人権擁護法案修正方針を与党人権懇に報告 反対派には警戒感(産経新聞 2006/08/31 01:52)》

 自民、公明両党による「与党人権問題懇話会」(座長・古賀誠自民党元幹事長)は30日、国会内で会合を開き、昨年の国会提出を見送った人権擁護法案について協議を再開した。法務省は、実務を担当する人権擁護委員の選任基準に国籍条項を設け、救済対象となる人権侵害の定義に「違法性」を加えるなどの修正方針を説明。懇話会はこれを受けて修正案策定を目指すが、次期首相就任が有力視される安倍晋三官房長官は法案反対の立場を崩しておらず、国会提出は困難な情勢だ。
 
  ……〔中略〕……
 
 一方、法案反対派は「なぜ総裁選を控えたこの時期に」と神経をとがらせている。特に安倍氏は「表現の自由は一度失ったら取り戻すのは至難の業だ」と法案そのものに反対しており、安倍氏周辺は「総裁選への揺さぶりか」と憤りを隠さない。

 まあ、古賀氏など政策において安倍氏に反対する立場の自民党議員は、ご本人の勝手な意向で安倍氏に投票させて、閣僚その他の人事で干してやればいいのだ。どうせ反対に回れば報復人事(?)がこわいから口先だけ支持に回っているのであって、あわよくばポストを得ようという魂胆なのだろう。支持に回るよう安倍氏の方からお願いすると後でアメを与えなければならなくなるから、潜在的な反対勢力には勝手にさせて、アメもムチもなしということで窓際族に追いやるべきなのだ。勝ち馬に乗ろうとしている自民党議員もだいぶ多いようだが、報道では安倍氏独走状態なのだから、政策で一致しそうな議員の支持を徹底してとりつけていけばいいのではなかろうか。まあ、こんなところで私が戦術論をぶっても詮ない事だから、さっそく人権擁護法案の話題に移ろう。

 

 人権擁護に関する法律の完全な廃案というのは難しいのかもしれないが、いま提出されようとしている人権擁護法案は、いくら小手先の手直しをしたところで危険な法律になるだけだろう。

 そもそもマスメディア条項をどうにかして法案を通そうなどという姑息な戦術で成立を目指していたようである。だが、マスメディアを特別扱いするのは、そもそも人権擁護法案が言論を弾圧する危険な法律である可能性があるからであろう。マスメディアという巨大な組織でさえ危機にさらされる危険があるのだから、個人がターゲットにされた場合、もはや何の抵抗のしようもなくなる。会社として訴えられなくても記者個人が吊るし上げをくらう危険もあるわけで、そうしたら記者が萎縮してまともな記事が書けなくなってしまう。このままでの人権擁護法案の成立は、ジャーナリズムの死を意味する。

 国籍条項も眉唾である。

人権擁護委員に「国籍条項」 法務省が修正素案(朝日新聞 2006年08月30日21時31分)》

法務省は30日、自民・公明の「与党人権問題懇話会」に、昨春まとめた政府原案に大幅な修正を加えた素案を提示した。自民党の反対論を踏まえ、人権侵害に関する調査や加害者への指導などを行う人権擁護委員になれるのは「市町村議会議員の選挙権を有する住民」で、実質的に日本人だけとする「国籍条項」を盛り込んだ。

 しかし、公明党や民主党が推進する『永住外国人地方選挙権付与法案』が成立すれば、結局、外国人も人権擁護委員になれる。日本国民と言われず「「市町村議会議員の選挙権を有する住民」などというところが、いかにもアヤシイ。結局は永住外国人、具体的には在日コリアンを委員にする肚づもりなのではあるまいか。

 また、もし人権擁護委員になるためにわざわざ密かに帰化する在日外国人が多数いたらどうするのか。彼らは簡単に国籍条項をくぐり抜けられるのである。もし国籍条項を入れて成立させたいのなら、帰化三世までは排除する条項にしなければなるまい。昭和時代を思い出してみればわかるように、お祖父さんは権力は失いかけていたが、かなり大きな権威はまだ保っていた。そのような人物から薫陶を受けた孫は、いまだ外国人の発想や倫理観に支配されているかもしれない。だが、曾祖父母などの見たこともないご先祖様が外国人から帰化した者でも、祖父母からは日本人であるならば、とりあえずは日本人的な発想と倫理観で判断するだろう。

 人権というのは如何様いかようにも解釈できそうな曖昧な概念である。したがって、判断する人が偏っていることによってイカサマな解釈も罷り通ってしまうのである。私は、虐げられた人が公平な判断をすることは困難であると考えている。自分の怨みを投影して一方に加担してしまう危険性があるからである。たとえば戦争で虐げられた人々(いわゆる元従軍慰安婦も含む)は、だいぶ判断に歪みが出ているのではあるまいか。軍隊アレルギーとでもいいたいような政治的意見をもっている。むしろ戦後生まれで軍隊のことを体験として知らなくても知的にはよく研究している国民の方が、軍隊に対して善悪ともに客観的な判断ができるように思える。人権に関しても同様で、自分があまり強度な人権侵害を受けたことがない人が委員になった方が、判断の客観性が保てるのではなかろうか。

 また、犯罪者を親にもつ日本人も除外されるべきであろう。たとえばオウムの子が人権擁護委員になったらどうなるか考えてもらいたい。彼らの一部は不当に差別されているかもしれない。そして、オウムの子のほうがその差別をよく理解できるだろう。しかし、国民は納得するだろうか? 犯罪者の子は犯罪者の薫陶を受けていると考えるのが普通である。このように虐げられた人のほうが虐げられた人の気持ちがわかるから委員にすべきという論理は大きな危険を含んでいる。そういう人たちは、自ら委員になるのではなくて委員に積極的に通報するなどの役割を担えばよいのである。むしろ人権侵害されているという情報が入ってこないシステムこそ改善されるべきだろう。

 法律で明文化して制限しなければ、人権擁護委員を選任する人の思想によって問題のある人物が人権擁護委員になってしまう可能性もある。あらかじめ明文化して不適切な人々を排除することによって、人権擁護委員の適切な人選が担保されるのである。選任する人の不適切な恣意が入らないようにするのも法律の役目だろう。

 人権擁護委員になれる人の範囲が制限されるにしても、それを憲法違反などというべきではない。日本人が日本人の人権を守ることが第一であり、在日外国人に関しては、日本文化のなかにおける人権を承認すべきなのである。日本人と外国人の感じ方が微妙に違う場合、日本国内では日本人の感じ方によって判断されるのが基本だろう。これだけ戦後民主主義が教育されてきたのだから、日本国民の感性はムラ意識ばかりでなく普遍的な倫理にもまた開かれているはずである。そのような倫理観に耐えられないのならば、日本から出ていくことも可能である。旧ソ連と違って、べつに在日外国人を日本に“抑留”しているわけではない。「郷に入れば郷に従え」は、和を重視する日本人の倫理観であり、それが嫌ならば出ていく自由もある。移動の自由が認められている現代において、あえて村八分のポジションにいるわけであり、それはムラが悪いのではなくて本人の責任である。

 日本人は自由になりすぎた。自由というよりも勝手になりすぎたと言えるのかもしれない。その結果が地域や家庭の崩壊だったりする。地域や家庭を再生するためには、ある程度の勝手気ままの制限をしなければならないし、集団生活に関する特定の倫理を強めなければならないのかもしれない。そういう時代にあって個人の勝手気ままなエゴイズムに加担するような法律は時代遅れである。

 人権か、それとも単なるワガママやエゴかは、なかなか線引きが難しい。人権侵害されていると訴える人が、実際には、常識的に考えて多くの人々に嫌われるような態度をとっている可能性もある。たとえば、浮浪者はクサイから公共施設から出ていけというのは合理性がある。臭わないようにしてくれば公共空間にいてもそれほど迷惑にはならないからである。しかし、さらに深く付き合うとなると、なんとなくクサイ奴は嫌われる。この場合のクサイは、肉体的な嗅覚によるものでなく、心理的な好き嫌いに関する精神的感覚である。しかし、人権擁護法が成立すると、そういう心理的な拒否反応まで人権侵害と言われてしまう危険性もある。関わりの拒否を禁止する圧力を加えることは、人権侵害を盾に取ったストーカー援護法をつくるようなものである。とくに女性は注意されたし。

 世の中にはいろいろな好みの人間がいるのであり、たとえば個人として「俺は朝鮮人がキライだ」とか「俺は部落民がキライだ」とか「俺は○○教がキライだ」とかいう人がいてもいいわけである。不特定多数に対する社会的啓蒙ならまだしも、個人を狙い撃ちして個人の好き嫌いに圧力をかけるような法律は、それ自体が“人権侵害”であると言いたい。

 

 人権侵害に関しては、もっと人権概念を吟味して明確化したうえでないと、恣意的な適用がなされそうで怖い。おそらくほとんどの人が人権について考えたこともなく、人権に関する社会的コンセンサスは得られていないだろう。個別の人権問題に介入する前に、十分なケーススタディを通して人権に関する国民的コンセンサスを得られるような事業を展開すべきである。一般国民は、何が人権侵害なのかわからないような状態であり、そのような状態で強制力をもつ機関が介入してくるとなると、まるで法律を公布していないのに刑罰を課すようなものである。そんなこと知らなかったでは済まされないのだろうし、明文化されていない条項で罰が与えられるような状況では、その介入が不当であることを訴えることさえもできない。

 

 人権擁護に関する法律は、根本から練り直して法案提出すべきである。人権擁護法案は蘇えるのではなくて黄泉帰れ!

 
 
 
人権擁護(言論弾圧)法案反対! 人権擁護(言論弾圧)法案反対! こんなふうに“人権”の名のもとになんでも罷り通ってしまう世の中にしてはいけません。
 
 
 
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【2006/09/01 23:42】 政治 | トラックバック(5) | コメント(0) |

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