日の丸・君が代を教員に強制するのが違憲だという非常識な判決が2006年9月21日に東京地裁で出たが、ネット上にはこれに対するさまざまな意見が出ている。今回は、ライブドアPJオピニオンを見てみたい。
いつもつまらいなライブドアPJオピニオンだが、今回はいいこと言っている。プロ(?)市民参加型のオーマイニュース・ジャパン(嗤)と比較して、ライブドアはまともなオピニオンを展開するようになってくるかな?
《日の丸・君が代が違憲? 式典をする左派教師達(ライブドアPJオピニオン)》
いささか極端な話だが、同じ式典である葬式に例えてみれば分かりやすい。「友人の葬式に参列する事がなったが、派手好きな自分としては真っ黒な喪服は自分の思想の反する、思想・良心は憲法で保障されているので、自らの思想に合った金色のスーツで葬式に参列したい」などと申した者と、今度の左派教師の主張は全く同列である。式とは“形と秩序”が最も優先させるべき事項だ。
自分の思想・良心の自由と矛盾対立する社会的場所にはいかない、そういう場所に出掛けるときは自らの行動上の自由を抑制して形式上は主催者側に合わせる、というのが社会人の常識だと思うんだが。左翼教師は何やってんだか。。。
《慰謝料請求だって? 「先生」の国歌斉唱問題(ライブドアPJオピニオン)》は、もっと痛快だ。
カネのために信念をねじ曲げ、市民からカネをたかる。けれども教員としての職責は全うできない。こんな「先生」が、ぬるま湯につかったような学校という職場で、ゴキブリのように増殖しているのだ。こんな不逞の輩は「先生」失格というより人間失格の烙印を押されてもいたしかたない。
《稀にみる反国家的な不当判決!国歌斉唱訴訟(ライブドアPJオピニオン)》
「甘えるんじゃないぞ!」と、訴えを起こした側に非難の矛先を向けたい。都立高の教職員たちが起こした訴訟は「甘え」であり「権利に託(かこつ)けた我がまま」以外のなにものでもない。教職員も人間であり日本国民として思想信教の自由はある。だが、同時に「公務員」である。
……〔中略〕……
また「強制は違法、違憲」と判断した東京地裁・難波孝一裁判長は、法律家であると同時に国家公務員であるにもかかわらず、国歌と国旗を否定するに等しい判決を下した裁判官として厳しく批判されなければならない。
ライブドアPJは完全に右寄りかというとそうでもなく、上の記事に噛みついたPJもいる。《日の丸、君が代の判決はまともです(ライブドアPJオピニオン)》では、名にしおわば永野薫ちゃん【千葉県】が香ばしいオピニオンを放っているので、注目したい。
日本人は日の丸を先頭に、戦争に駆り立てられたのです。ほんとうは負けているのに、勝った、勝ったとだまされて。だから、日の丸を嫌悪するのです。これは、普通の人間の普通の感情でしょう。しかし、戦後61年が経ち、戦争経験者も少なくなり、若い人たちは戦争の事実をあまり知らされていないので、国旗、国歌のどこが悪いと思われるのでしょう。それに年配者で、国旗、国歌に違和感のない人は、戦争で被害を受けていないか、被害の少なかった人ではないかと思います。
軍人・軍属250万人、民間人50万人、アジアでは1500万人とも2000万人ともいわれる人々が生命を落としました。戦場や空襲あるいは原爆、どの一つをみても涙なしにはいられるものではありません。
アジアの1500万人とも2000万人ともいわれる犠牲者の数が嘘くさいが、もし正しければ日本は勝った部類に入っているだろう。日本人の犠牲者が300万人とすれば5倍以上も殺したのだから。中国には勝ってアメリカに負けたというのが、おそらく大日本帝国軍の言い分だろうし、少なくとも軍事的優勢にはあったはずだ。
それに、この人は大東亜戦争の頃に中国では国民党と共産党がしばしば内戦状態にあったことを知っているのだろうか? どうせ内戦の犠牲者を日本軍による死者に上乗せして提示しているに違いないのである。兵隊よりも武器を大切にしたと揶揄される大日本帝国軍が、無抵抗な民のために無駄に弾丸を体の中にくれてやることはほとんどなかったはずである。どうせ抵抗した共産党ゲリラが軍人ではなく民間人として数えられているだけである。
もし被害者意識から国旗・国歌に反対しているのなら、この人自身は実際に戦争被害は受けていないだろうから欺瞞的意見だろう。また、もし仮に日本人の戦争犠牲者がゼロで敵国に大量の死者が出たとすれば、この被害者論理では国旗・国歌は(少なくとも日本国内では)日本人に違和感なく受け容れられることになる。戦争被害者がむしろ少数派になっている現在、そしてほんとどゼロになるだろうこれからは、ますます国旗・国歌に違和感を感じて反対する理由がなくなる。反対者の根拠は体験的なものではなくて観念的なもの即ち思想的なものである。被害者感情の論理はもはや無効になりつつあるのであり、また、敵国(中国)の被害者への思いやりも、敵国の被害者が存在しなくなる今日において有効性がますます小さくなっている。中韓が騒ぐ靖国問題も、もしほんとうに被害者意識から言っているのだとすれば、あと数年で消えるだろう高齢者の最後の叫びなのである。
若い人たちは、事実をご存じないままなのではないでしょうか。そのため国旗、国歌と社旗、社歌が同じにあつかえるのではないでしょうか。
おお、そんなこと言うなら朝日新聞社の社旗をなんとかしてくれ。あれをみると旭日旗を思い出して、平和主義の私としては不快で不快でしょうがないんだ。私にとっては日の丸(日章旗)よりも戦後ほとんど使われなくなった十六条旭日旗のほうがよほど軍国主義の象徴的デザインなのである。ちなみに、明治3年5月15日太政官布告により「陸軍御国旗」が16条旭日旗に定められ、また、1889年(明治22年)10月7日に海軍旗章条例により帝国海軍の軍艦旗として十六条旭日旗が定められた。詳しくは《旭日旗(ウィキペディア)》 朝日新聞社の社旗は、おそらく大日本帝国軍の四分の一ほどの責任を象徴しているぜ。(嗤)

ちょうどいい画像がないが、朝日新聞社の社旗は《こちら》を参考にしてほしい。
教員が日の丸(日章旗)と旭日旗を一緒くたにして嫌っているようでは、若い人は歴史をよく知ることができない。旭日旗が日本の軍旗で、日章旗(日の丸)はもっと広範に日本国全体を意味する旗である。日本の帝国主義を批判したいならば、その象徴として日章旗(日の丸)ではなくて旭日旗を持ち出すべきである。日章旗を否定するのは、歴史的無知によるか、さもなければ日本国全体の否定(共産主義革命か?)を象徴的に意味することになろう。ちなみに、旭日旗を使っている自衛隊のみなさんは、そのような左翼の言論に負けずに頑張ってください。国防は絶対に必要な誇りある任務です。
靖国参拝で異議を言っているのは、中国、韓国だけのように報道されていますが、シンガポールなどアジアの国々では、戦争中の日本軍のしたことをきっちり教えているそうです。日本人は忘れてもアジアの人たちは憶えているのです。このまま流されていては、近い将来にも国際摩擦になって、日本に跳ね返ってくるように思われます。
シンガポールで華僑が盛んにアジっているの知らないの? それを朝日新聞などが大々的に取り上げているだけ。摩擦を作り出しているのは中国なのね。
このPJは、たぶんまだ若くて左翼教育(このひと千葉県だもんなあ)や新聞社の洗脳から解き放たれていないのだろうけれど、朝日新聞のライブドアPJ支局にだけはならんでくれよ。(^^ゞ 私はこのページにはGoogleニュースで検索してきたわけで、一般のブログと違ってそれなりに多くの人に見られているんだから。

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