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富田メモ解釈に重大疑惑

 2006年8月3日の日本経済新聞に、富田メモ4月28日の一枚目の写真が掲載された。そして、「それが私の心だ」が昭和天皇の言葉ではない可能性を示唆する重大な数字がこの写真に写っていたのである。これは広く周知され検証されるべき重大な事柄であると思われるので、ブログ記事を書いておくことにした。

 
 

 まずは日経8月3日の記事の転載。

1978年から十年間、宮内庁長官を務めた富田朝彦氏は晩年の昭和天皇が最も信頼した側近の一人だった。富田氏が残した日記、手帳 ( 富田メモ ) には天皇が政治、経済の話題や自身の健康、皇族がかかわる問題などについて語った率直な思いが随所に見られる。公の発言に気を配らなければならない天皇の晩年を支え、よき聞き役となった富田氏。二人の十年の軌跡を追う。

  戦争・靖国、何度も話題に

 宮内庁長官の重要な職務の一つは天皇の呼び出し(「お召し」)に応じて、必要事項を報告・説明する「言上」。通常、言上は天皇と長官の「一対一」の形式をとる。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に言及したのが88年4月28日の言上時だった。

 当日の富田メモは計4枚。一枚目の書きだしに「63.4.28 1117-1153 (吹上) 」とあり、富田氏が午前11時17分から同11時53分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。

 メモ四枚のうち一、二枚目はこの年の三月に腸の手術を受けた昭和天皇の三女、鷹司和子さんの退院の見通しなど、報告内容の個条書きとなっている。

 次いでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。冒頭に「Press との会見」とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。

 29日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、88年は25日に実施。昭和天皇は翌年一月に崩御したため、最後の記者会見となった。

 まず前年(87年)の会見を振り返り「高松(宮)薨去(こうきょ)間もないときで心も重かった」「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」(この年の会見はメモを読み上げる形だった)などが書かれている。

 続けて88年の会見について「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現した――」「“嫌だ”と言ったのは ( 当時の閣僚の名)の靖国発言中国への言及にひっかけて言った積(も)りである」などとある。当時、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていことがうかがえる。

 当時の一部報道によると宮内庁内部で打ち合わせていた回答原案では、「つらい思い出」と表現する予定だったが、天皇が「嫌な」と言い換えていた。その真意については定かでなかった。

 これを受けて四枚目のメモで「前にあったね」として、過去にも首相の靖国神社公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。この話の流れの中で、メモ後半部分に「私は或る時に A級が合祀され――だから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などとする靖国不参拝の理由を述べた発言が記述されていた。

 記者会見では事前に提でされた質問の後、記者が自由に質問する「関連質問」があり、この年の会見で「戦争の最大の原因は」と問われた天皇は「人物の批判になるので述べることは避けたいと答えている。四枚目のメモの末尾に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とあり、この事実と符合している。

 この年の5月20日のメモにも「靖国のことは多く相当の者も知らぬ。長官が何かの形でやってほしいとあるほか、86年7月23日付の日記で「靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである」などの記述がある。これらの問題について昭和天皇が常に気に掛けていたことがうかがえる。このメモは天皇と富田氏の信頼の証しであるかもしれない。

 富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、会った人たちの名がこまめに記されている。それによると、88年4月28日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇、午後は皇太子(いまの天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切、記載されていない。
 
    ※赤太文字は和空による強調。

富田メモ28日1ページ
 
 

 次に、4月26日のメモと4月28日のメモ①③④を判読したものを挙げておく。一部に判読の間違いがあるかもしれない。なお、?や?は判読できなかった文字。赤太文字は和空による強調。

 

**********************

    
皇太子とバラの間   4.26 1425-1450
○李?韓国大使
  ??省兼任前公???PV云々と??
○礼宮 PV時 L.A

    ( 和田勇(80)氏 )
     日系人引退者ホーム立寄時

   首席随員  角谷

   英国修学  影井元伊大使

○外務次官

  賀陽所長のこと
  両参与の意見を求めて欲しい

○ cl??ity Bowl 時 (Mrs. Aba)
 浩宮   dignity ? elegance
      ☆ you??fulness
 ??? while ????.

◎ 大相撲夏場所 行幸見合せ
 決定の背景と経緯について
 知りたしと


**********************

  63.4.28 1117-1153 (吹上)

1 鷹司さん  5月10日ご退院のこと
    徳川 住居??に
   お慶びを
        1205 上野??
         ???官に依頼
3 礼宮 ◎陛下も承知し喜んでいる
      伝えて欲しい
   ブラジルPVは角谷前比大使
    首席に (角谷大使のこと)
    英国修学時 (浩宮時の
   中川元ソ大使に相当)は、
???  影井元伊大使(?PV時
大使の女 夫人屡々随員に)

2 先日 宮中記者クラブお会い
   クラブの感想について

   沖縄

2′4.29. 30  国民の??


**********************

63.4.28の②は未公開


********************

63.4.28  ③
    
☆Pressの会見
〔1〕昨年は 
①高松薨去間もないときで
心も重かった 
②メモで返答したのでごつごつ
していたと思う 
③4.29に吐瀉したが その前で
やはり体調が充分でなかった 
それで長官に今年はの記者の
印象があったのであろう 
 =②については記者も申して
おりました         
                    
〔2〕戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したかったが
それは后で云いたい  
 そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった    
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土相
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである


**********************

4.28 ④


余 
り 
閣 
僚 
も 
知 
ら 
ず 
そ 
う 
で 
す 
が 
か 
多 
い 
 前にあったね どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったか
 藤尾(文相)の発言。
=奧野は藤尾と違うと思うが
 バランス感覚のことと思う
 単純な復古ではないとも

 私は 或る時に、A級が
 合祀され その上松岡、白取
 までもが、
  筑波は慎重に対処して
 くれたと聞いたが。
 松平の子の今の宮司がどう考
 えたのか 易々と
  松平は 平和に強い考が
 あったと思うのに 親の心子知
 らずと思っている
  だから 私あれ以来参拝
 していない。それが私の心だ
・干連質問 干係者もおり批判になるの意


************************

 

 私としては、4月28日メモの一枚目の“1205”という数字が非常に気になる。12時05分の意味ではなかろうか。そうすると、吹上御所での言上に関する記録は最初の3行のみという可能性もある。退院とか転居の話は、話しだすと結構長くなるものである。12分で吹上御所から上野まで行くのはちょっと無理かとは思うが、上野は人名かもしれない。とくに:を入れずに4桁の数字で時刻を表記しているところを見ると、1205も時刻を意味していると考えるのが自然である。ただし、この1205の箇所の詰まり具合からいって後から書き加えた可能性も残っている。

 また、26日の皇太子との会見は25分でメモ約一枚の分量になっているから、36分の言上でメモ約一枚を使うというのは妥当な長さであり、この一枚目が全て言上時の内容だったとしても、四枚全てが言上時の内容であるとするのには分量が多すぎるようにも思える。

 メモ一枚目の「◎陛下も承知し喜んでいる 伝えて欲しい」は何を承知しているのか。この場所からいって礼宮のことを意味しているように思われるが、あるいは鷹司さん退院の件か、徳川侍従長の住居に関することか。いずれにせよ富田長官がメモにも“陛下”という言葉を使っている点は見逃せない。26日のメモでも「◎ 大相撲夏場所 行幸見合せ 決定の背景と経緯について 知りたしと」と“行幸”という特別な言葉を使っている。したがって、陛下に関して行幸や御親拝などではなく「参拝していない」という言葉を使ったり、「それが私の心だ」というようなぶっきらぼうな書き方でメモをしたのか疑問である。

 また、26日のメモでも皇太子と会って礼宮の話をしているし、この当時それについてしばしば皇太子と話し合っていたのではあるまいか。数日後に同じことを話すというのも変かもしれないが、26日に提案し28日に内定したという可能性もある。それに、吹上御所では昭和天皇の三女・鷹司和子さんの退院の話をし、皇太子(現在の今上天皇)とは礼宮に関する話をするというのはむしろ自然である。

 一枚目のメモにおいて、1鷹司さん 3礼宮 2先日…… というように順番が狂っていることも気になる。忘れないうちに重要な3を先に書いておいたという可能性はある。二枚目のメモに4や5があるならば、一枚目は全て吹上御所での言上記録と考えられる。もし二枚目のメモに1があるならば、そこからが皇太子との会見であるか、または礼宮の件から3→2→1の順で皇太子との会見メモをとったのだと思われる。

 さて、以上のように“1205”の後は、午後に行われた皇太子との会見内容とも見なせそうであり、また、富田長官は4月28日の夜には新聞記者と会見している。ということは、28日メモの一枚目がすべて吹上御所での言上記録だったとしても、二枚目には皇太子(現在の今上陛下)との会見内容があるのかもしれない。あるいは二枚目も言上の続きで(当時)皇太子との会見内容はほんとど抜けているのかもしれない。そして、三枚目と四枚目には夜の新聞記者との会見の内容だと想定することもできる。

 昭和天皇が再び新聞記者と会見することはありそうもないから、富田長官が昭和天皇の発言について説明をしたものだろう。そして、そこには富田長官の個人的な意見が少なからず混入していた可能性がある。

 もしも四枚目まですべて吹上御所での言上記録だったとするならば、五枚目に皇太子との会見内容がなければならないが、《富田メモの画像》から判断して五枚目はありそうもない。26日には皇太子との会見内容がメモされているのだから、28日の皇太子との会見内容もメモされていて然るべきである。以上のことから考えて、たぶん三枚目と四枚目は富田長官が夜に新聞記者と会見した内容であろう。

 以上は推測にすぎないから、まずは日経は二枚目のメモも公表すべきである。

 ところで、この富田メモは、メモだから敬称は一切つけないという方針だったかもしれない。少なくとも28日の一枚目のメモで徳川義寛侍従長(1906年生まれ)を「徳川」と呼び捨てにして記録しているのだから、他の目上の人々を呼び捨てにして記録してもおかしくない。名前に敬称を省略して記録したならば、敬称の使い方から発言者を限定していくことは無理である。

 「松平の子」という表現は、たしかに年上の人間には使いにくいかもしれない。しかし、たとえば「阿南惟幾の息子なのに、なんであんな行動をとるんだろう?」というような批判的表現は、年上に対しても平気で使うだろうと思われる。←某ブログのコメント欄で見たことがある。これが誰を意味しているか、右寄りの人はすぐわかりますね。(^^ゞ

 かくして「それが私の心だ」が誰の言葉なのか、もう一度ふりだしに戻って検証すべきではないかと思う。

 
 
 
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【2006/08/25 23:12】 政治 | トラックバック(3) | コメント(0) |

皇族方の精神衛生 ~皇位継承を考える(18)~

 今回は、皇室および皇族の精神衛生について書いておきたい。

 皇后陛下も皇太子妃時代に週刊誌などからかなり色々と良からぬことを書かれたようだし、雅子妃殿下も同様である。皇室の方々はお立場上、一般人のように反論したり戦ったりすることができないのだから、相手が無抵抗ならばますます責めるという“イジメ”特有の行動がここに生まれ、バッシング行動はますますエスカレートする。本当はそれを周囲で守ってやらねばならないのだが、大衆化された皇室報道に対抗するだけの防御システムを宮内庁は作り上げていない。国民に開かれたガラス張りの皇室も結構だが、一方で、硬質ガラスで防弾するという安全措置も講じておくべきなのである。なにしろ皇族方はお立場上、逃げも隠れもできない人々なのだから。

 皇后陛下のかつての失声症や雅子妃殿下の適応障害は、必ずしも皇室内部だけの問題ではなく、週刊誌を始めとする国民の側の悪意ある表現が大きな要因になっていることは間違いないだろう。昔は御簾の奥に隠れていればよかった皇室・皇族の方々も、現代では表に出て来ざるを得なくなっているのだから、時代にあった精神衛生システムを作っていくべきなのである。

 雅子妃殿下の場合には、皇室のしきたりと自らの性格との兼ね合いもあるのだろうが、やはり心理的にはかなり深刻なように思われる。それを単なるワガママだで済ませて盛んに非難する人々がネット上にも多くいて、とても残念である。こういう心ない行為がご回復の足を引っぱっているということに彼らはまったく気づいていないらしい。

 皇太子ご一家は、いよいよ17日から31日までオランダを訪問してご静養される。

 どうぞよい旅を。そして、時差ぼけして夜中に目が冴えているあいだに、ひとつ御夫婦で頑張ってきてくださ~い。(^o^)/~~~~~  ・・・って、これはそういう話じゃないっつーの。(゚O゜)☆\(^^;)

 ご静養されることにはなっているが、雅子妃殿下担当の精神科医・大野裕慶応大学教授も同行するということなので、治療目的という側面もあるのかもしれない。この件に関しては『週刊文春』の記事に詳しかったが、《皇室報道・・女性セブン・文春(ふぶきの部屋 2006年8月3日》にその要約が出ている。

 それによると、大野裕慶応大学教授の同行について東宮大夫は「この静養が治療に役立つという事を確保する為に担当医として派遣する」と言っているそうである。雅子妃殿下は、外野がうるさくない場所でゆっくりと自分を振り返るのかもしれない。ただ静養するだけでは適応障害の回復は困難で、やはり専門家に話を聞いてもらうなどのケアが不可欠であろう。2週間もゆっくりと来し方行く末のことを担当医に話していると、けっこう気持ちも落ち着いてくるのではなかろうか。いや、ひょっとして、週刊誌による雅子妃殿下バッシングでかなりストレスも溜まっているのだろうから、外には声が漏れない広いお城の中で、
 

週刊誌のバカヤロ~~~~~~~~~ッ!!!
 
って叫んでたりなんかしてね。・・・ぁ、それは私がしたいことか。(^^ゞ

 ま、いずれにせよ心の安らかさを回復して元気になられることを祈っております。

 だいぶ古いニュースだが、こんな記事があった。

皇太子ご一家、静養のためオランダ訪問へ(産経新聞 2006年06月23日 23:45)》
 宮内庁の野村一成東宮大夫は23日、皇太子ご一家が静養のため、8月中旬から下旬にかけて、オランダ訪問を予定されていると発表した。長女の敬宮愛子さまを連れての海外ご訪問は初めて。
 野村東宮大夫によると、1年ほど前にオランダのベアトリックス女王から招待があり、愛子さまが通われている学習院幼稚園の夏休みを利用して訪問されることにした。天皇、皇后両陛下、皇太子ご夫妻が静養目的で海外を訪問されるケースは過去にないという。
 
 病気療養中の雅子さまにとっては、平成14年にご夫妻でオーストラリア、ニュージーランドを訪問されて以来。雅子さまは昨年7月の愛知万博視察で地方訪問するなど、徐々にご公務に復帰し、最近ではスポーツ観戦やオペラ鑑賞をしたり、学習院幼稚園の行事に参加するなど外出に努められている。
 
 一方で、雅子さまの治療を担当する東宮職医師団は昨年12月、病気の現状について「ご回復の兆候はみられるものの、体調には依然として波があり、続けて公務をしていただける状態ではない」との見解を出した。
 
 今回の訪問にあたっては当時と比べ、「状況は大きく変わらないが、少しずつではあるが着実に回復してきておられる」と判断。その上で「静かな環境でのご静養は、治療的に有意義である」としている。
 
 今回のご訪問は両陛下にも報告され、治療に効果が出ることを望まれているという。

 《はい、受け入れられません(らむもな帳 2006年8月7日)》によると、両陛下が7月13日から18日まで予定していた葉山での静養を取りやめたそうだが、これは、皇太子ご夫妻のオランダご静養のため自らのご静養の費用を浮かせたのだろう。はやく治ってもらいたいという両陛下の思いでもあろうから、「ご静養が必要なのは両陛下のほうだ」といって雅子妃殿下をバッシングするのは、陛下の御心情をも傷つけるものであろう。

 慶応大学保健管理センターの大野裕教授(雅子妃担当の精神科医)と民間人のヘアドレッサーの費用は内廷費から支出し、後の9人は東宮職の職員なので通常通りであるという。オランダのベアトリックス女王から招待されたのに応じたという形だから、まあ、半ば私的・半ば公的ということなのだろう。せっかく招待されているのに行かないというのでは、皇室としても格好がつかない。

 

 皇后陛下のかつての失声症といい雅子妃殿下の適応障害といい、どうせ週刊誌が悪口を書いて強いストレスを与え、病気に追い込んだのではなかろうか? そうしておいて今度はオランダご静養は税金の無駄遣いだなどと非難を始める。余計な税金を使わざるを得なくしているのがいったい誰なのか、よ~く考えてから不満を述べてほしいものである。

 ご静養のために税金が使われるのが問題だというならば、ご病気になられないよう予防策に税金を使うのが筋であろう。病気を治すのに莫大な金がかかるならば、病気にならないために金をかけるほうが安いだろうし、同じ金を使うのなら予防策に使ったほうが人間に優しい。その意味でも、皇族方にはカウンセラーの一人や二人雇っておいても当然であろう。あれだけ週刊誌でバッシングされれば、愚痴をいう相手の一人くらいは絶対に必要である。

 宮内庁は、臨床心理士を男女各1人雇うべきかもしれない。専門家臭さが鼻につかない人物ならば、いないよりいたほうがはるかにマシであろう。皇族方は私費でお抱えカウンセラーを持てるほど金銭的な余裕はないのだろうから、宮内庁職員として臨床心理士に給与を与えて、第一の仕事を皇族方のカウンセリングにしたらいいのではないか? 時間があれば宮内庁職員のカウンセリングなどをしてもいいわけだし、別の一般事務をしてもらうこともできる。もちろん、“御庭番”みたいにどうでもよさそうな仕事を与えておいて、いつでも話し相手になれる態勢でスタンバイさせておくという方法もあろう。臨床心理士には、こういうポジションをとるのが結構うまい人もいるらしい。皇族の人権などとわかったようなことを国民が言うのならば、皇族方のストレスを軽減するために国が金を使うのは当たり前である。

 ただし、宮内庁長官のメモが公開されてしまうような世の中だから、個人的悩みの守秘義務に関してかなりセンスのいい専門家を雇っておかないと、皇族方はうっかり愚痴も言えず、彼らの心がもたないのではないかと心配でならない。だが、非常に有能なカウンセラーならば、具体的な事柄を詳しく聴かなくても心を癒すことができるはずである。相手の顔の表情や喋り方、しぐさや態度などを見ていれば、具体的内容が分からなくてもその人の感情の動きは十分に掴めるから。深く病んでしまう前ならば、相手の気分についていくだけで十分に心を軽くすることができる。

 

 憂鬱だったり慢性的にプレッシャーをかけられていたら、妊娠する可能性だって低くなるだろう。皇統を断絶させてしまうことにもなりかねない。男系継承は絶対に変えるべきではないが、時代によって宮内庁などの組織を変えていく必要はあるだろう。時代が変われば心も変わる。そうしたら、時代にあった“心を保護するシステム”を構築すべきなのである。

 
 
 
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〔シリーズ:皇位継承を考える〕
皇位継承を考える(1)万世一系の天皇と国家
皇位継承を考える(2)男系維持の方策(その1)
皇位継承を考える(3)男系維持の方策(その2)
寛仁殿下は男系維持を希望 ~皇位継承を考える(4)~
寛仁殿下の「事実」発言 ~皇位継承を考える(5)~
宮内庁の皇室潰し ~皇位継承を考える(6)~
紀宮清子内親王の結婚 ~皇位継承を考える(7)~
新たな有識者会議での再検討を求めたい! ~皇位継承を考える(8)~
首相の真意はどこに? ~皇位継承を考える(9)~
ネット投票から推定した世論 ~皇位継承を考える(10)~
朝日の世論調査は情報操作?! ~皇位継承を考える(11)~
万世一系の天皇家&旧宮家系図 ~皇位継承を考える(12)~
紀子妃殿下ご懐妊に思う ~皇位継承を考える(13)~
NHK世論調査にみる一知半解の「女系天皇」容認派 ~皇位継承を考える(14)~
「朝まで生テレビ」を見て ~皇位継承を考える(15)~
男系存続の確率論 ~皇位継承を考える(16)~
天孫宣下をすべき ~皇位継承を考える(17)~
【2006/08/16 22:55】 皇室 | トラックバック(10) | コメント(1) |

中国が皇族の政治利用?

 どうしてこの時期にこういう“記録資料”が出てくるのか。

三笠宮さまが戦争「謝罪」  江氏訪日時、外遊記に記述(岩手日報 2006年08月10日)》
【北京10日共同】中国で先月発行された江沢民前国家主席の外遊記録の中に、昭和天皇の弟の三笠宮さま(90)が1998年11月に訪日した江氏に対して、日中戦争に関し「今も深く恥じている。中国人民に謝罪したい」と語られたとの記述があることが10日分かった。
 
 この外遊記録は「より美しい世界のために」と題し、江氏が訪日時の宮中晩さん会で天皇に「歴史への反省」を説いたことなどを紹介している。
 
 それによると、宮中晩さん会に出席した三笠宮さまは「戦争中に旧陸軍の将校として南京に駐在し、日本軍の暴行を目の当たりにした」として、中国人民への謝罪の意向などを示したという。
 
 また「歴史の真相を若い世代の皇族に伝える必要がある」と述べ、「日中の代々にわたる友好実現に努力する」との考えを表明したとしている。
 
三笠宮さまが日中戦争「謝罪」、江主席外遊録に記述(2006年8月9日23時11分 読売新聞)》
【北京=藤野彰】昭和天皇の弟の三笠宮さま(90)が、1998年11月に訪日した江沢民・中国国家主席(当時)を歓迎する宮中晩さん会の席上、江主席に対し、日中戦争に関して「日本軍の暴行を今もなお深く恥じて気がとがめている。中国人民に謝罪したい」と語っていたと、このほど中国で公刊された江沢民外遊録に記述されていることが明らかになった。
 
 天皇陛下はこの晩さん会でのお言葉で先の大戦について触れられなかったが、江主席は答辞の中で「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩んだ」などと厳しく指摘。中国側が今回、外遊録で三笠宮さまの発言を初めて公開したことは、歴史問題を巡って日中関係が冷却化する中、戦争を経験した皇族の「謝罪」表明として重要視していることをうかがわせている。
 
 この外遊録は「世界をさらにすばらしくするために」(北京・世界知識出版社)と題した、江沢民外交の記録集。李肇星外相が序文を寄せていることから、党・政府のお墨付きを得た公式文献と言える。
 
 それによると、三笠宮さまは同年11月26日夜、天皇、皇后両陛下の主催で開かれた宮中晩さん会で、「日本の中国侵略戦争中、旧陸軍の将校として南京に駐屯したことがある。日本軍の暴行を目の当たりにし、今もなお深く恥じて気がとがめている。中国人民に謝罪したい」との考えを江主席に伝えられた。
 

 なぜこの時期に?というのが率直な感想である。富田メモに関して日本の中で“天皇の政治利用”は慎むべきだとの論調が高まっている時期に、中国がそれを利用したような感じがするタイミングである。

 これは中国側の資料だから、どこまで信用していいのかわからない。そもそも為政者は、自分の都合のいいことを多少の虚飾を混ぜながら記録に残すものだからである。三笠宮崇仁殿下はまだご存命なのだから、本当にそのような発言をなさったのか、あるいは中国側の脚色なのか、すみやかに明らかにすべきだろう。富田メモの二の舞は踏むべきではない。マスコミなんか信用できないから、国会に招いてその事実確認だけはさせてもらうべきであろう。

 崇仁殿下が本当に「中国人民に謝罪したい」という意向を表明なさったのか。あるいは言葉としては「遺憾の意」を表明する程度であったのか。どちらにせよ真実を明らかにしておいてほしいものである。将来これは歴史にかかわる大問題になる。日本側で事実関係を明らかにしておかなければ、中国側の文献だけが歴史を伝える資料として残ってしまうだろうから。

 《三笠宮崇仁親王(ウィキペディア)》は、1915年(大正4年)12月2日生まれであり、例の南京事件は1937年(昭和12年)12月だから、殿下が22歳のときに遭遇した。若い頃であるし、実際にそのような暴行現場を目撃すれば、「謝罪したい」という気持ちを抱くこともないとは言えない。しかし、心の中でどう感じているかとは無関係に、宮中晩さん会での発言は政治的な思惑で一人歩きを始める。

 天皇(および皇族)には政治的な権限はないのだから、皇族が何を言おうと政治(外交)には関係ないなどとは言っていられない。皇族の言葉を逆手にとって日本の政治に外交的圧力をかけようとしていることは明らかであろう。国内的には皇族の発言を政治的に利用しないという暗黙の政治的了解ができたとしても、外国にとってはそんなことはお構いなしに利用できるものは利用するというのが常道であるし、実際にこうやって利用されてしまっているのである。だから、そのような形で皇族の発言を外交的に悪用されないように、日本国として政治的にこの発言事実を確定しておくべきであろう。

 

 中国は、永遠に謝罪を求めていくつもりらしい。

歴史問題、永遠に追及  中国主席が指示(岩手日報 2006年08月10日)》
【北京10日共同】1998年8月に江沢民・中国国家主席(当時)が、中国の在外公館関係者を集めた会議で「日本に対しては、歴史問題を常に強調するべきだ。永遠に話題にし続ける必要がある」と述べ、歴史問題で日本を徹底追及するよう指示していたことが10日、中国各地で発売された江氏の文献集「江沢民文選」で明らかになった。
 
 江氏の発言は、中国の最高首脳が歴史問題を対日政治カードとして“永久使用”すべきだとする意向を示したものと言える。現在の胡錦濤指導部に一定の影響力を与えているとの指摘もある江氏の対日強硬姿勢を浮き彫りにした。
 
「歴史問題、永遠に言い続けよ」江沢民氏、会議で指示(2006年8月10日19時35分 読売新聞)》
【北京=藤野彰】中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。
 
 中国は胡錦濤政権に移行した後も一貫して歴史問題を武器に対日圧力をかけ続けており、江氏の指針が現在も継承されているとすれば、歴史問題をめぐる中国の対日姿勢には今後も大きな変化が期待できないことになりそうだ。
 
 同文選(全3巻)は江氏の論文、演説などを集大成したもので、これまで未公開だった重要文献を多数収録。江氏は同年8月28日に招集した在外使節会議で国際情勢について演説、この中で対日関係に言及し、歴史問題の扱いをめぐる指針を示した。
 
 それによると、江氏は「日本の軍国主義者は極めて残忍で、(戦時中の)中国の死傷者は3500万人にも上った。戦後も日本の軍国主義はまだ徹底的に清算されていない。軍国主義思想で頭が一杯の連中はなお存在している。我々はずっと警戒しなければならない」と述べ、日本の軍国主義はなお健在との認識を表明した。
 
 さらに、台湾問題との関連で「日本は台湾を自らの『不沈空母』と見なしている」と批判、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなければならない」と指示した。
 
 江氏は同会議の3か月後の同年11月に日本を訪問。滞在期間中は歴史問題を再三とりあげ、強硬姿勢を印象付けた。
 
 

 我々は、日本(軍)の資料が存在しないまたは信用できないからといって、中韓側の資料ばかりを信用してはならない。そのような態度は、かえって歴史を歪曲することになろう。被害者は大げさに訴えるという側面があることを忘れるべきではないし、さらに言えば、外交とは、相手をできるだけ不利な立場に追い込む策略であるという一面がある。

 
 
 
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【2006/08/11 22:59】 政治 | トラックバック(0) | コメント(0) |

昭和天皇と靖国参拝

 このところ完全に更新をさぼっているにもかかわらず、ときどき訪問してくださっている方々には感謝致します。m(_ _)m

 

 あいかわらずワンテンポ遅れている時事評論だが、例の「富田メモ」について書いておこう。自分の中でまだ十分に結論はでていないのだが、いつまで原稿を温めていても果てがないし、これから靖国問題もだんだんヒートアップしてきそうだから、この時期に発言しておく価値は大いにあると思う。

 
 
 

戦争神社という誤訳

 

 最初に書いておきたいのだが、靖国神社を War Shrine と呼ぶ誤訳 は、早いところ国際的に正しておく必要があると思う。これはニューヨークタイムズの有名な売国日本人記者が言い出した名称である。

 靖国とは「国を安らかに治める。鎮国」の意味であり(貝塚茂樹ほか編『漢和中辞典』角川書店)、靖国神社の名は『春秋左氏伝』第六巻僖公二十三年秋条の「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇が命名したものである。《靖国神社(ウィキペディア)》したがって、あえて靖国を訳すに、to make the country secure (and peaceful) あたりが適当ではないかと思うし、そういう意味では靖国神社(Yasukuni Shrine)は Security Shrine と訳すのが妥当なのである。靖国神社は、戊辰戦争において朝廷方で戦死した人々を祀ったのがはじまり(当時の名称は東京招魂社)だが、それは内憂に関して国を安泰にするために命を捧げた人々だった。そして、日清日露戦争や大東亜戦争など外患についても国家防衛に命を捧げて国を安泰に尽くした英霊も祀られていく。

 Securityは「安全保障」とも訳される。したがって靖国神社は安全保障神社と訳しても一向にかまわないのである。マッカーサーは「日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。」と言ったそうだが(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)、まさに靖国神社は“わが国の安全保障のために命を捧げた人々への慰霊と顕彰”が目的であったと言える。そして、今「靖国反対!」と叫んでいる人々は、昔「安保反対!」と叫んでいた一派(またはその末裔)と重なると思われる。靖国反対運動は、安保反対運動から姿を変えた“お花畑平和主義運動”なのである。

 靖国擁護に回っている人々は、場合によっては武力による国家防衛も認める現実的平和主義者である。手段としては(他国との)戦争だったとしても、目的としては(自国の)平和・安泰であった。ことさら戦争神社などという訳し方をしてまるで日本人が戦争を好き好んでやって来たように思わせるのは、ものの表面だけをみて一面的な主張をする態度だといえよう。

 

 Security(安全保障)とは何か。それは当事国間で意見や主張が分かれる非常に悩ましい問題である。自国にとっては安全保障の実現であっても、他国にとっては侵略や虐殺になりうるからである。靖国問題も、安全保障をめぐる見解の相違に発するものなのである。

 
 
 

「富田メモ」問題の参考ブログ

 

 いろいろとブログを巡って参考になる記事を集めていたので、まずはここにまとめておきたい。

 

日経の記事を検証しないで中国・韓国や全国に情報を流す朝日新聞・共同通信その他と、ネットで検証している人たちについて(愛・蔵太の少し調べて書く日記 2006年07月22日)》
↑マスコミ報道の発端からの経過が詳しく追われている。

 

靖国合祀不快感に波紋(「まぁ皆さん聞いてください」 2006年07月20日)》
↑毎日新聞(2006年7月20日14時12分更新)の引用。

同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。
 
 メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。

 

昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ(柏木蛍の浮世吟集 2006年07月20日)》

88年4月28日付の手帳に「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
↑読売新聞の引用。

 

「靖国」議論が加速?(coool! 2006年07月20日)》
↑朝日新聞の記事に反論。

 
だからどうした(桜日和 2006年07月20日)》
↑この記事における「重大な疑問」を提示。

 

[資料]松平永芳宮司の語るA級戦犯合祀と中曽根参拝

 

日経も機を見て事大(reborn in 060106 2006年07月20日)》

記事で書かれている「昭和天皇は」「と語った」という語句は日本経済新聞が『付け加えた』もので、実際の発見されたメモに「「昭和天皇は」「と語った」という語句は『存在していない』という点ね。

 

■天皇陛下のお言葉(偽(◆ ケシクズ ◆ 2006年07月21日)》
↑もっと前を読むと、昭和天皇のご発言と報道されたのは、じつは「藤尾(文相)の発言」と考えられる。

 

A級戦犯合祀メモと小沢一郎(きょうのこりあ 2006年07月21日)》
↑小沢氏は、以前(第104回国会 地方行政委員会 第5号 昭和六十一年四月二日)とは正反対のことを言っている。また、メモに対する疑問を列挙。

 

日経新聞によるスクープ?(楽韓Web 2006年07月21日)》
↑昭和天皇のご発言というよりむしろ徳川侍従長の発言だったのではなかろうか、と推理する。

 

富田長官の非公式「メモ」の過大評価を慎み、その政治利用に反対しよう(草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 2006年07月22日)》
↑産経新聞の引用。また、たとえメモが本当だったとしても、分祀論に弾みをつけるなどの政治利用には慎重になるべきである、と主張。

 

「昭和天皇のご発言」は実は侍従長の発言?(思った事をつらつら書く 2006年07月23日)》
↑2ちゃんねるによる疑問点の列挙〔改訂版〕。

 

徳川侍従長の発言ではないのか(読書ノート2 2006年07月23日)》
↑2ちゃんねる発言の引用

 

富田元長官「メモ」の一部しか報道しなかった日経 (草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 2006年07月23日)》
↑管理者曰く:日経新聞は例のメモを公開しないと言っているそうですが、あの富田メモを正当に検証しなければ真実ははっきりしません。……日経新聞は富田元宮内庁長官メモを公開すべきです。

 

昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感 ・・・その後 2(鳳山雑記帳 2006年07月24日)》
↑4.28メモの3枚目に書いてあったこと。

 

日本とは対決しなければならない(依存症の独り言 2006年07月23日)》
↑東条元首相の孫である由布子さんは、メモはねつ造だとして上で、「処刑後、毎年お遣いの方が来られて『ご下賜』をいただいていた。『遺族の者たちは皆、元気にしているだろうか』と、ご心配をいただいた。そんな陛下が、ああいうことを仰るとは思えない」と述べていた。一方、神田秀一氏は、メモが本物であるという前提で、「松岡氏や白鳥氏は国際連盟脱退や三国同盟推進の立役者で、昭和天皇が不快感を抱いていたという話は以前から聞いていた。メモは、『松岡や白鳥までも東條らと同じように合祀されるとはどういうことだ』というお気持ちではないか」という解釈を披瀝していた。

 

天皇さまが泣いてござった(こん 2006年07月23日)》
↑昭和6年、昭和天皇が鹿児島から軍艦榛名(はるな)にお召しになられて、海路を東京へ向かわれたときのエピソードは、陛下のお人柄がしのばれていいですね。

 

「あれ以来」とは昭和50年11月20のご親拝(Let's Blow! 毒吐き@てっく 2006年07月24日)》
↑「元々、今回マスコミの手に渡ってしまった一連の手帳は、彼が常々「私の死んだ時は、私とともに荼毘に付すように」と語っていたことは、一部では有名な話である。」ということらしい。この「ご親拝」当時の政治状況に関する資料。天皇の靖国参拝は憲法違反であるという風潮があった。

 

いわゆる「富田メモ」について(最終)(依存症の独り言 2006年07月24日)》
↑徳川侍従長の発言だったと解釈する。

 

【 (画像)富田メモ@昭和天皇発言問題 捏造ですか?>日経さん 】(Here There and Everywhere 2006年07月24日)》
〔おすすめ記事〕サンデープロジェクトの動画あり。管理者曰く:中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾元文相の発言です。昭和天皇の発言ではありません。……藤尾氏と奥野氏、同じタイプのタカ派と呼ばれていましたが、実は靖国参拝を推進する奥野氏と違い、藤尾氏は靖国参拝をしていないのです。

 

皇室存続を危うくした「富田メモ」大暴露(大磯正美研究室 平成18年7月29日)》
↑管理者曰く:このメモの公表によって、すべての皇室メンバーは「側近」を持つことが不可能になってしまった。これがこのメモ問題の核心である。もはや「側近といえども心を許してモノを言うことができない」と考えない皇族はいないだろう。 また曰く:天皇という存在は「無私」が基本であると考えれば、数人の文民合祀者がいるからといって、そのために幕末以来の戦没者全員に哀悼の意を表しに行かないということはあり得ない。

 

富田メモの仕掛け(coool! 2006年07月31日)》
↑「昭和天皇は実際に合祀を望んでいなかったが、それは、合祀ではなくて、東郷神社とか乃木神社のように軍神として一柱一神で祀るおつもりであった。」という見解。明石 散人『日本国大崩壊 -アカシックファイル』(講談社)がネタ元。

 

「富田メモ」無節操極まる政治利用!(依存症の独り言 2006年07月31日)》
↑朝日新聞は22日の天声人語で「富田メモを政治で過大に扱うのは控えたほうがいい」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに世論調査をして政治利用している。

 
 
 

「富田メモ」の作成者と発言者

 

 富田メモの問題の部分は、手帳にメモが貼り付けられている状態で残っている。また、前日のメモが黒インク(ないし劣化による黒色化?)なのに28日のメモは青インクである。だから、このメモ自体が別人の捏造したものと疑う人々もいる。本来はそこから検証すべき物である。しかし、私はとりあえずそれを本物(富田氏自身が記録したもの)と見なしておきたい。

 しかし、問題の箇所が先帝陛下のご発言であったかどうかは疑わしい。すでにこの問題を扱ったブログでは、徳川義寛元侍従長の発言と見なす見解が多いし、私もひょとしたらそうではないかと思っている。なお、「 [特集] 「昭和天皇」富田メモは世紀の大誤報か」(『週刊新潮』2006年8月10日号の26~30ページ)には「徳川侍従長の発言」説の論拠がかなり詳しく出ている。

 すでにいろいなブログで問題箇所の前の部分の復元がなされているが、ここでも取り上げておこう。

富田メモ1  富田メモ2

26日のメモは私の判読であり、28日③④のメモは、ネット上に出回っている判読結果である。一部読み違いがあるかもしれない。?や?は判読できない文字。

**********************

    
皇太子とバラの間   4.26 14:125-14:50
○李?韓国大使
  前??????????????
○礼宮 PV時 L.A

    ( 和田勇(80)氏 )
     日系人引退者ホーム立寄時

   首席随員  角谷

   英国修学  影井之伊??

○外務次官

  賀陽所長のこと
  両参与の意見を求めて欲しい

○ clarity Bowl 時 (Mrs. Ab?)
 浩宮   dignity ? elegance
      ☆ you??fulness
 ??? while ????.

◎ 大相撲夏場所 行幸見合せ
 決定の背景と経緯について
 知りたしと


********************

63.4.28  ③
    
☆Pressの会見
昨年は 
①高松薨去間もないときで
心も重かった 
②メモで返答したのでつく
していたと思う 
③4:29に吐瀉したが その前で
やはり体調が充分でなかった 
それで??に今年はの記者の
印象があったのであろう 
 =②については記者も申して
おりました         
                    
 戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したが
それは后で云いたい  
 そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった    
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである


**********************

4.28 ④


余 
り 
閣 
僚 
も 
知 
ら 
ず 
そ 
う 
で 
す 
が 
か 
多 
い 
 前にあったね どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったか
 藤尾(文相)の発言.
=奧野は藤尾と違うと思うが
 バランス感覚のことと思う
 単純な復古ではないとも.

 私は 或る時に.A級が
 合祀され その上松岡.白取
 までもが、
  筑波は慎重に対処して
 くれたと聞いたが 
 松平の子の今の宮司がどう考
 えたのか 易々と
  松平は平和に強い考が
 あったと思うのに 親の心子知
 らずと思っている
  だから 私あれ以来参拝
 していない.それが私の心だ
・関連質問 関係者もおり批判になるの意


************************

 昭和天皇の記者会見というのは、「4月29日の朝刊」に掲載するために、実際には誕生日の前、「4月25日」におこなわれたそうだ。その詳しい発言内容は《昭和天皇は1988年4月25日、生涯最後の誕生日記者会見で何を話し、その日は何をしたのか。それと「昭和天皇発言メモ」の検証(愛・蔵太の少し調べて書く日記 2006年7月24日)》に出ている。

 4月28日③からいって、昭和天皇の発言と報道されたものは「☆Pressの会見」の内容と考えるべきかもしれない。最後に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」があるので、問題の部分だけ会見ではなかったとするのは不自然である。しかし、もしそのPressの会見が4月28日にあったとするならば、昭和天皇がこれだけの爆弾発言をしているのに4月28日以降に新聞が記事にしないはずがない。《富田メモを悪用するな(侍従長の発言だろ) / argument(つらつらかきつらねる 2006年7月24日)》によれば、「少なくとも昭和63.4.28に昭和天皇は会見をなさっていないし、富田氏とお会いしたという記録がないとのことです。」

 しかしながら、この「☆Pressの会見」が、4月25日の会見をふりかえって発言している内容であることを示す小見出しであるとするならば、そして、もしこの4月28日の会見に昭和天皇がご臨席なさらずに昭和天皇に近い第三者が記者の質問に答えているのだとしたら、それは徳川侍従長だと想像される。4月中旬に徳川侍従長は退官しているが、しかしその後宮内庁に勤務していたそうである。(→上掲ブログ記事のコメント欄であって、きちんと裏をとったわけではない。) したがって、「私」が徳川侍従長であった可能性は否定できない。25日の会見記事は4月29日(天皇誕生日)の新聞で報道されることになっていたのだから、内容確認のための記者会見があった可能性は十分にあり、しかも陛下が再び会見に臨むことはないだろうから、事情をよく知っていた徳川侍従長が陛下のご発言について解説したと見なすのが自然なのではなかろうか。

 「☆Pressの会見」が3日前のものを指していて、「私」が昭和天皇を意味している場合、この内容は内輪で話されたことであって新聞記者はいなかったと考えられる。ただし、そもそも4月28日に富田氏が昭和天皇に拝謁していないとするならば、富田メモの「私」は昭和天皇ではあり得ないことになろう。仮に拝謁できていたとしても陛下が宮内庁長官という政治的な立場の人にそんなことを直接仰ったのだろうかとの疑問は残る。爆弾発言であればあるほど、これは公開されるべきメモではなかったことになる。

 奥野発言は1988年4月22日が発端らしい。→《奥野国土庁長の靖国発言 中国への言及(児童小銃 2006年7月27日)》 したがって、時系列的には矛盾はない。むしろ、「奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである」とよく合致する。

 私としては「徳川侍従長の発言」説に与したい。ただし、徳川侍従長の会見メモ説だと「徳川侍従長の引退会見」が4月28日にあったというのが絶対条件になるが、それがはっきりしない。メモの「私」が昭和天皇とは考えにくい理由は、25日の会見で「えー、思想の、人物の批判とかそういうものが、えー、加わりますから、今ここで述べることは避けたいと思っています。」と仰っていながら、28日の会見ではしっかり「松岡・白鳥」批判をしていることになり、態度に一貫性が見られなくなってしまうからである。「私」が徳川侍従長なら、彼の個人的な心情として述べる形で、批判すべき人物についての昭和天皇のお考えを代弁したとも考えられる。

 

 多少気になるのは「松平の子」という表現だが、藤尾文相(1917年生まれ)が松平永芳宮司(1915年生まれ)を「松平の子」と呼ぶのは年齢的にいって少し無理がある。その父・松平慶民(1882年生まれ)より年上となると昭和天皇(1901年生まれ)も徳川義寛侍従長(1906年生まれ)も当てはまらないが、まあなんとか不自然ではない範囲に入るだろう。

 
 
 

先帝陛下の御心は何処いずこ

 私はこの箇所を徳川侍従長の発言と考えたいが、もしこれが昭和天皇のご発言であるとしたら、先帝陛下の御心は何処にあるのだろうか。

 

 私としては、東條英機などの忠臣の元A級戦犯が祀られたからというよりも、政教分離の点で政治問題化するのをおそれて御親拝を控えられたのではないかと思っている。当時の政治状況を考えると、それが最も妥当なものと思われる。

 もちろん、白鳥・松岡が合祀されたことは非常に御不快であったと思われる。先帝陛下は親米英の立場であり、彼らが陛下の意に反して大日本帝国を戦争に引きずり込んだとお考えになっておられたのではあるまいか。逆臣とまでは言わずとも、陛下のお立場からはとても彼らが日本の安全保障のために命を捧げたとは思えなかっただろう。それに、そもそも松岡は病死なのであって戦没者とは言えない。

 「つねに公であられる天皇陛下が、私的な感情で靖国神社の御親拝をおやめになるはずがない。」という意見もいくつかのブログでみられた。しかし、私としては個人的心情から御親拝をおやめになる可能性も十分にあったと考えている。少なくとも戦後は靖国御親拝は公的な行為(国事行為)ではなく、あくまでも私的な行為であったはずである。御親拝は国事行為のうち「十.儀式を行ふこと」に含めることも可能かもしれないが、十分に宗教活動だと思われるので、公的だとすると政教分離の原則にひっかかる。天皇が国事行為に私情を差し挟むということはあるべきではないし、また無いとは思うが、私的行為に関しては、私情が差し挟まれることはある程度かまわないし、靖国神社の御親拝に関しては私情(というか個人的心情)も大いに関係していたのではないかと思う。

 もし「それが私の心だ」というのが先帝陛下のご発言であるならば、個人的心情の側面からは、むしろ白鳥・松岡が合祀されたから御親拝をなさらなくなったという意味であって、必ずしも東條英機ら忠臣のA級戦犯が祀られたから御親拝をなさらなくなったという意味ではないだろう。先帝陛下は(今上陛下も)毎年欠かさず侍従を代参させている。公の立場としては、代参で義理は果たしているし、筋も通したことになろう。しかし、御親拝という行為の陰には、深い格別の御心情が存在していたはずである。

 靖国神社には天皇のために自らの命を捧げた英霊達が祀られているのであって、少々極端な言い方をすれば、陛下が自分の命令で戦地に赴かせたようなもの(“赤紙”は帝国陸海軍によるものだが、その名義的最高責任者は天皇であると言えないこともない)である。したがって、その法的責任の有無にかかわらず、やはり自分のために命を捧げた人々の御霊に会いに行くのは心情的に自然であったのではないかと思う。昭和天皇は戦没者に対して罪責感のようなものはなかったかもしれないが、その労をねぎらい勲功を讃える気持ちは強かったのではないかと思う。軍艦榛名でのエピソードが語るように、自分のために尽力してくれた人々に対する先帝陛下の思いは非常に深い。人によっては七回生まれ変わってもお仕えしたいと感じるくらい深かったのではあるまいか。

 そして、親米英路線を進んでいれば犠牲にならなくてよかった多くの英霊達のことを思うと、松岡・白鳥に対する不満・不快感は察するに余ることではなかっただろうか。国民(戦争当時は臣民)への思いが深ければ深いほど、彼らが祀られている靖国神社への御親拝には複雑な気持ちをお持ちだったのではないかと思う。

 今上陛下にも御親拝を望む声があるが、私としては御親拝の意味が少し違ってくるのではないかと思っている。すなわち、今上陛下が直接戦地に赴かせたわけではないのだから、第三者による戦没者の慰霊という意味になるだろう。それはそれで意味のあることだろうが、とくにその場所が靖国神社でなければならないという必然性はない。靖国神社の英霊達は明治・大正・昭和天皇のために命を捧げたのであって、直接に今上天皇のために命を捧げたのではない。英霊の心情を慮るに、無理に政治運動にするほどの必然性は感じない。今上陛下が御親拝なさりたいということなら、政治運動にしてもかまわないが。

 

 たとえ「富田メモ」が本当に昭和天皇のご発言をメモしたものであったにせよ、私としては平和に反する東條英機などのA級戦犯が合祀されたから御親拝なさらなくなったとは思わない。戦前の政治状況に関する昭和天皇のご見解については、今きちんと資料に当たっていないのでできるだけ言及を避けたが、ひとたび戦争になったら戦果をあげる努力をした者が忠臣であることになるのだから、東條英機ら戦争遂行者を平和に反するものとして忌避していたというのは絶対にあり得ないことだろう。昭和天皇が平和を愛するが故にA級戦犯の合祀に反対されて靖国神社に御親拝なさらなくなったという理由づけは、あまりにも単純すぎる。というか間違った見解だろうと思う。

 昭和天皇の御心についてはいろいろな解釈があると思うが、私としては常々こんなふうに想像している。

 
 
 
 
 

 紀子妃殿下のご出産も迫っていることだし、そろそろまた皇位継承問題について書かないとなあ・・・。(^^;

 
 
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